愛すべき宮崎の空気
2018-10-30
何だろう「秋の花粉症」鼻の粘膜が空気の質を捉えた
東京上空の空気に思う
今年は夏季休暇期間を通じて、ほとんど休みが取れなかったこともあって、ようやく休暇らしい時間が持てた。「サザン茅ヶ崎芸術花火2018」から横浜で「寺山修二展」を観て、東京の浅草を周遊した。東京生まれ東京育ちの僕ではあるが、未だスカイツリーに上ったことはなかった。故郷の町や羽田空港から見晴るかすその高楼の容貌は、東京の光景をすっかり変化させた印象だ。初めてその展望台へと上る機会を得たが、350mまでほんの30秒ほどで上昇する箱に詰め込まれた人間に掛かる気圧の変化に、聊かの違和感を覚えた。さらに1000円を加算して支払い100m上の回廊に至っては、聊かの揺れを身体に感じたのは僕だけであろうか。しばらくは車酔いのごとき気分に曝されてしまった。
遠望の空の同じ高さにヘリが飛ぶ。そして実家の位置や小中高大学・勤務先など、これまで僕自身が歩んできた「場所」が箱庭の中のごとく見える。この街で生きてきて、そして今は宮崎に住む。空間的な高さがそんな時間の「おく」を掘り起こすような気分が持てた。果たしてここからの未来は、どの「空間」にあるのだろうか。それにしても東京の空気の汚れ具合は、まさに「空がないと言った」という詩の一節が思い返される。高楼に上って可視化したせいではなかろうに、降りると鼻炎のような症状が出た。春先の花粉症と同じょうな、むず痒さである。春は花粉症であった僕は、宮崎に移住してその症状はほとんど現れなくなった。やはりこれは東京の大気のせいであったか。極端な高楼もなき宮崎に戻り、空港ターミナルから出ると大きな深呼吸を自然にできる自分がいた。
溢れ返る密集した人の多さ
人が人として生きる街とは
愛すべき宮崎の空気をあらためていま
- 関連記事
-
- 産みの苦しみさらなるおくへ (2018/12/26)
- つながる人 橋をかける社会 (2018/12/18)
- 「私心があっては志と云わず」の覚醒 (2018/11/29)
- ほんのひとつまみの塩 (2018/11/27)
- 余白に響く親戚の笑顔 (2018/11/26)
- 躍起を抑えるためには (2018/11/12)
- 「お前のアウトプットは何だ〜!!!」 (2018/10/31)
- 愛すべき宮崎の空気 (2018/10/30)
- 「病は気から」を考えたら (2018/10/27)
- 身震いの20回目に立ち会う (2018/10/23)
- 面白がって平気で生きる (2018/10/03)
- 考える余白 (2018/10/02)
- 思い込みで固まるな (2018/09/11)
- 習慣化する強み・弱み (2018/08/25)
- 夏が来るたびあの日と同じ (2018/08/16)
スポンサーサイト
tag :