「・・・・・・授業」に何を入れますか?
2018-10-24
「わかりやすい」否「かんがえられる」授業は「成否」にあらず、
向き合う学び手が動くかどうか・・・
9月に3年次の基礎実習を終えている3年生、ゼミでは後期のこの時期にその振り返りを実施している。主に研究授業の指導案を元に、その実践について4年生を含めて討議している。最近よく思うことは、指導案上という机上での「授業」と「実践」はまた違うのだということである。もちろん指導案に従って授業をするのであるが、いざ「実践」してみると「予想」に反して展開することも少なくないということだ。指導者は構想力も大切であるのだが、同時に様々な状況に対応できる即応力も求められるということである。所謂「型通り」「マニュアル通り」では、授業にあらず”現場ライブ対応力”が教師としては重要と思う。
学生たちの対話を聞いていて、授業に対する評価の用語が気になった。「授業」は「成功」と「失敗」で評価してよいものだろうか?ここ15年ぐらいの社会動向として、「わかりやすいことはいいことだ」という観念が蔓延っているように思う。劣化が指摘されているTV番組では、さも「誰でもわかる」かのように話し手が俄か仕込みの知識をひけらかし「物知り顔」で口を歪めて話す。受信料で製作されているニュース番組ですら、余計な予算を使用し立体的な模型などで「わかりやすい」だろうと下手な演技でアナウンサーが説明をする。「わかりやすい」は穿った見方をすれば、「単純化」「単一化」であり政治家からスポーツ選手まで「しっかり・・・する」という文型を繰り返している。さすれば「しっかり授業する」とは何か?誠に当たり前なことを、さも正当で誠実な姿勢かのように見せ掛けているだけではないのだろうか。
学び手が「かんがえられる授業」とは?
僕の場合は敢えて「わかりにくい授業」をすることがある
自らの説明・講義が万能だと思い込んだ時に「教育」ではなくなってしまうのであろう。
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