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身震いの20回目に立ち会う

2018-10-23
弘仁8年(西暦818年)から
干支が「戊戌(ぼじゅつ)」の年にのみ
60年に1回が今年で20回目の「般若心経」

岡山での中古文学会を終えて、当日の便は時間的に切迫しており出張規定通り月曜に宮崎に戻る申請をしていた。後期の月曜日は担当講義もなく研究日に当たるので、関西での半日を有効に活かそうとあれこれ考えた。「有効」などという語彙はまったく「現代」的に過ぎない。「いま」しか向き合えない「勅封」された「般若心経」を肉眼で見ることができて、1200年の歴史の一端に身を置くことができた感慨に浸った。京都は旧嵯峨御所総本山大覚寺にて「嵯峨天皇宸翰勅封般若心経1200年開封法会」が行われているというので、早朝から嵐山へと足を運んだ。「60年に1度」ということは前回は昭和33年(1958年)であるから、僕自身は生まれていない。では60年後はどうか?たぶん長寿世界一のギネスにでも掲載される人間にならない限り無理であろう。「いま」は「今」しかなかったのである。

時は平安時代初期・弘仁9年(818年)、大旱魃(かんばつ)と疫病が全国に蔓延し、当代嵯峨天皇は、弘法大師空海の勧めにより、絹の紺紙に金泥で一字ごとに礼拝を繰り返しつつ誠を尽くし般若心経を浄書されたのだと云う。すると霊験あらたかに旱魃は回復し疫病も治り、大いなる功徳が得られたと伝えられている。その後、嵯峨帝の般若心経は勅命(ちょくめい・帝の命令)によって封印され、干支が「戊戌」の年のみ、つまり60年に1回だけ開封されてきたのだと云う。写経の金文字は所々薄れているのだが、それは歴代皇室に病気の方がいらっしゃると、この写経が京都御所に運ばれ、その霊験にあやかるために金文字を削ってお飲みになられたのだと、開封の場で解説をしていた僧侶が語っていた。その僧侶の言葉に「今回が20回目でございます。」と告げられた際には、表現できないような身震いと感涙が「心経殿」の特別な空気の中でこの身に宿った感覚であった。「20回目」とは、近現代の観念からすれば僅かな数字である。だがしかし、60年に1回の20回目で1200年前に到達する。僕たちはこんな歴史の時間を生きているのである。

嵯峨朝は大陸との交渉で様々な文化をもたらした
和漢比較文学研究をする身として新たな意志が起動した
「いま」とは何か?僕らの言葉と文学がそれをさらに次代に繋ぐのである。


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