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「語り本系」と「読み本系」の交響曲

2018-10-07
旅はうたごころを掻き立てる
物語諸本は推敲されていく
声の本と文字の本の並列が作品世界を跳梁させる

和歌文学会第64回大会に参加した。昨年は自らが開催校として台風に見舞われながら、ご来場の方々に最大限のおもてなしを施せたことが既に懐かしい。今年も事務局の同窓の仲間の研究者たちに支えられ、会場校の担当の先生が奮闘していた。一度でも「当事者」になるということは、自らが参加するに際して、優しい気持ちで会場に出向くことができるものだ。世間は甚だしいクレーム社会であるが、それだけに多くの人々が逆の立場の「当事者」を経験する機会を持てる社会が望まれているのかもしれない。さて大会初日は講演で、辻勝美先生「鴨長明の旅と和歌」豊島秀範先生「物語中和歌の増減と表現の異同ー狭衣物語を中心にー」松尾葦江先生「『平家物語』の表現ー「叙事に泣く」ということー」の3本であった。

いずれも学ぶ点の多いご講演であったが、僕自身としては松尾先生の『平家物語』の表現についてのご発表が一番印象に残った。『平家物語』は語り物としての「声の文学」であると一元的に今まで考えていたが、実際は「読み本系」と「語り本系」が相互に補完し合って、現代に伝わる『平家』が形成されているというもの。文体の中には「歌枕」「和歌的表現」「漢文的表現」「感情表現」などの要素が散りばめられ、その交響によってリズミカルな文体が構成されている。「語り本系」では、作中人物と語り手の一体化が読め、「読み本系」では作中人物に批評的な視点が読めるということだ。和歌は「感情の明確化」に寄与しており、むしろ「高級な読者は『叙事に泣く』のだ」ということを、『平家』の文体に即して語る松尾先生の語り口そのものに、文学の読み手としての底知れぬ迫力を覚えた。

懇親会では司会役を引き受けた
ご講演の先生や明日の発表者の方々の語りが響く
僕自身もあれこれ思い出深い國學院大学のキャンパスにて。


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