あの頃の〈学校〉
2018-10-06
朝は登校するなり校庭で野球早弁のために学食へ走る
なんでも楽しめたあの頃
何十年ぶりであろうか、卒業して初めて中学校時代の級友数人と再会した。それぞれにそれぞれの人生を重ねて来たことが、各人の表情によく表れていた気がする。何も知らない中学生の頃、お互いにその後どんな人生を送るかなど知る由もない。だがその当時の言動というものが、少なからずその後の人生の基礎になっているのも確かであるように思う。人は自ら何を持っていて、何に影響されて生きていくのであろうか。
「世知辛い世の中」というのでは、物足りないほどの社会になってしまった。現在の〈学校〉ではできなくなってしまったことを、僕らが中学生の頃は平気で実行していた。怪我をするとか勉強ができなくなるなど、あまり考えずに部活動にも没頭していた。先生方も各自が各自の色を出し、自由奔放に授業で好きなことを語っていた気がする。授業50分丸ごと雑談などということをどこかで期待しており、その雑談の内容から社会をに眼を開いたことも少なくはない。
無条件に楽しかったあの頃
教育・教員などを考える立場にいまあること
旧友一人ひとりから学ぶものがあった。
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