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考える余白

2018-10-02
「余白が・・・」という印刷時の指摘
バランスよきことが結果的に身のため
生きることの余裕と余白を考える

パソコンでプリントアウトをする際に、「余白が・・・」という指摘表示が出ることがある。たいていは余白が多すぎるか余りすぎるかという指摘で、プリントとしてバランスが取れていないとパソコンが判断したということである。だが製本を目的に自らの意図があって作成した書面は、「このまま印刷しますか」に「はい」を押すことになる。「手動」的とも言えるこのような印刷物を、比較的多くするような印象を僕自身は持っているが、みなさんはいかがであろうか?ワープロソフトであるWordを使用していると、こうした「手動」的な部分をほとんどソフトが「自動」で施してくれて、むしろその施しを「手動」で手直しするという作業を加えることもある。このような意味で日本製ソフトである「一太郎」を好むというユーザーも、縦書き中心に文書作成する日本文学研究者には多い。

少なくとも「短歌」を「横書き」にされると甚だ違和感を覚える。佐佐木幸綱先生の歌集に『直立せよ一行の詩』があるように、短歌は「直立」したものでありたい。そうはいっても最近は一般的な文書を「縦書き」にする方が稀少になってきたと、書式指定をしても何人かの学生が「横書き」で国語関係のレポートを提出して来る事からも実感する。(もちろん修正・再提出をさせるのだが)「余白」の話に戻ろう。この「印刷」に象徴的なのであるが、日々の生活にも「余裕」が多すぎたり少なすぎたりしてはいないか?僕の場合は明らかに後者で、やるべき仕事が過剰になってしまう傾向がある。好奇心が多方面にあることとともに、責任感なのか我が強いというか頼られたりすると自分自身でやりたくなってしまう傾向がある。だがしかし、この「余裕」と「余白」のなさは、たぶん周囲の人にむしろ迷惑をかけているのかもしれない。オリジナルな書式が目を惹くためには、あくまで均衡があってどんな考え方の人にも受け入れられなければなるまい。パソコンの指摘にも「一理あり」と思う午後であった。

昔は謄写版や輪転機などであった
学生とともに手作り製本を作成する
完成した代物についてはまたあらためて小欄で紹介しよう。


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