雲は湧き光り溢れて
2010-08-22
21日(土)朝から順調な生活。やはり「とことんまで何もしない」効果はあるようだ。午前中が充実し、昼食は馴染みのカフェへ。パスタに新作デザートを賞味し、カウンター越しの世間話付ランチ。午後は甲子園決勝でも観ようと思っていたが、ついつい試合開始時間を過ぎてしまっていた。第92回全国高校野球選手権大会の決勝、沖縄の興南高校と神奈川の東海大相模高校との対戦。結果は、興南高校の打線が爆発し圧勝という結果となった。昨日からであるが、本当に久しぶりに甲子園大会のTV中継を観た。その中でも、興南高校の選手たちが見せる謙虚かつ純粋な表情には、どこか好感がもてた。高校生でありながら、甲子園という場があることで、一躍スターのような存在になってしまう日本の野球界。メディアにもの申したいことは山ほどあるが、もはや日本の夏の恒例行事となっているのも事実だろう。そんな中で、沖縄県初の優勝を謙虚に勝ち取った興南高校のあり方には、肯けるものがあった。
「小さいことを全力で取り組む」
「期待されることと、自分たちがやることは分けよう」
興南高校監督の我喜屋優氏のことばだ。春の選抜大会の優勝などを経験すると、多くのチームは、自分たちのあり方が見えなくなる。脚光を浴びることで、大きな勘違いをする。たいていが夏の大会に臨むに当たり自滅したりする。そこを謙虚に前向きに取り組んできた結果が、この日の勝利に繋がったのであろう。
閉会式で奥島孝康審判委員長が講評で、興南高校の野球を「横綱相撲」に喩えていた。逆転勝ちなどを繰り返し優勝したのだから「横綱」だというのだろうが、その捉え方は本質を見据えていないように思う。むしろ驕りのない謙虚さにより成し遂げられた勝利であるから、「横綱相撲」という比喩は当たらない。いや「横綱」という概念が、本来は「驕りなき謙虚さに根ざしたもの」だというならば、話は別である。講評の真意はともかく、受身にならず、一歩一歩を大切にすることが高校野球の原点であるという意味では、高校野球に「横綱」など存在しないのだ。
沖縄県勢の初優勝。それは本来、特別なことではないはずであるが、アメリカ統治時代の参加など、歴史を背負うゆえに、その意味から考えることも多い。
この優勝にも驕らず、主将のコメントにあったように、「沖縄県民とともに」勝ち取ったものだという気持ちが今後もあればこそ、意味のある優勝になるのであろう。
甲子園とは何か?
野球大国日本の原点を知るには、この聖域に触れずにはいられない
「雲は湧き光り溢れて」
1998年、やはり春夏連覇を成し遂げた松坂大輔が、アメリカのマウンドで苦闘している姿を見てきたばかりなので、改めてその思いを噛み締める
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