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「おく(奥)」にこそある未来

2018-09-28
「未来は山のあなたにあるのではなく、
 〈いま ここ〉を掘り進んだ奥にあるという感覚。」
(『万葉集の〈われ〉』佐佐木幸綱より・角川選書2007)

牧水にも触発されあらためて『万葉集』を読んでいると、気になる歌語に多く出逢う。「おく(奥)」もその一つで、冒頭の佐佐木幸綱先生の評論の一節を思い返した。現代語の「未来」を表わす語として、古代では「おく」がある。幸綱先生も同書で述べているが、『万葉集』では万葉仮名の表記を含めて、物事の本質を考えさせられる歌語が多いことには興味が惹かれる。現代では「未来」のことを「先の先」と前ばかり向くような感覚があるが、「今の現実と無関係に未来はない」(同書の記述より)という必然を考えさせられる語彙である。

〈いま ここ〉を受け入れられない限り、「未来」が明るくなることもないだろう。「いま」の「現実」に眼を瞑るならば、虚偽の「未来」が待つばかりである。よくテレビ番組などで、怪我をしてしまったスポーツ選手の復帰までのドキュメントが構成されることがある。リハビリに励むその姿は、まさに〈いま〉を受け入れたからに他ならない。人間はどう足掻いても、〈いま ここ〉の宿命を変えることができない。それならば存分に「おく」にねじ込んで、「現実」を受け入れていくべきではない。若かりし頃は、往々にして「山のあなた」を目指す場合もある。牧水もそうだった、だがしかし叶わない恋の「おく」にこそ牧水の名歌が生まれ、自らを支えてくれた妻・喜志子との出逢いがあったのだ。

逃れられない〈いま ここ〉
逃げずに向き合う勇気と力
「おく」へと掘り進む力を持ちたい。


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