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〈いま〉〈ここ〉を去り続ける時間の連続

2018-09-22
「自分のうしろ姿が、
 いつでも見えてるように
 生き度い。」(若山牧水『樹木とその葉』所収「空想と願望」より)

牧水の故郷・宮崎県日向市にある「あくがれ蒸留所」、その焼酎「あくがれ」を愛する会が宮崎市内で開催され出席をした。先週は牧水祭にあたり没後90年企画の一連として日向市で開催されたが、あらためて宮崎市内で愛好家のみなさんが顔を揃える機会となった。冒頭に伊藤一彦先生の牧水講話、牧水祭のことや俵万智さんの新著のことなど牧水最新情報満載のお話であった。講話の中では僕の名前も取り上げていただき、今回上演された「牧水オペラ」の「牧水役」の歌手が僕の教え子であることも披露いただき、ありがたい限りであった。会は楽しく進行し参加者はまさに焼酎によって「あくがれて行く」わけで、〈いま〉〈ここ〉の世界から異世界を語り合える時間となった。

さて、冒頭に引いたのは牧水が創った短歌ではなく詩である。『現代短歌10月号』が「牧水考」の特集を組み、牧水賞受賞歌人などが寄稿している。そのうちの小島ゆかりさんの原稿に、この詩が取り上げられており大変興味が惹かれた。「牧水の青春の旅は、やむなき『あくがれ』の旅だった。」とその一節にあり、「『自分のうしろ姿が見えてる』とは、〈いま〉という時間、〈ここ〉という場所を去りゆく自分が見えている、ということだ。」という解釈に共感できる。元来が「あく(在処)」「かる(離る)」という古語由来の語彙であり、伊藤先生が常に指摘して来たように牧水の基本的なあり方である。旅はもちろん、物理的に〈いま〉〈ここ〉を去ること。「異性」もまた、〈いま〉〈ここ〉の自分から新たしき〈自分〉になること。そして「酒」もまた、〈いま〉〈ここ〉から夢見心地にしてくれる「あくがれ」に他ならない。小島さんの原稿を反芻しつつ、「旅」「恋」「酒」によって「自分のうしろ姿」が見られるよう努めたいものだ、と感じる宵の口であった。

「〈いま〉〈ここ〉を去り続ける時間の連続なのだ」(小島さん)
人生そのものが「あくがれ」にあり
また宮崎で新たな人の輪に「あくがれて行く」


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