没後90年第68回牧水祭ー喜志子没後50年
2018-09-18
「おもひやるかのうす青き峡のおくにわれのうまれし朝のさびしさ」
(牧水『路上』より)
牧水短歌オペラの興奮冷めやらぬ朝、日向の美味しい空気を存分に吸いつつ車を東郷町坪谷へと走らせた。9月17日午前7時58分、若山牧水は永遠の旅にあくがれ出で90年の月日が経過した。第68回牧水祭、記念文学館に車を停めていつもながら心和む清流・坪谷川を眺めながら生家前の歌碑へと向かう。冒頭に記した歌は、この日の座談で吉川宏志さんが引いていたものだが、ちょうどこの快晴のもとの坪谷川の現実の光景と重なった。生家前の夫婦歌碑には没後50年を迎える妻・喜志子の歌とともに、牧水の妻を思う歌が刻まれている。日向市長始め代表者から次々と献酒が行われる。牧水先生もさぞ美味しい酒を存分に味わったであろう。その後、記念文学館に近い「牧水公園ふるさとの家」で「偲ぶ会」が開催された。以下、〜県内歌人・牧水賞受賞者が語る牧水像〜「牧水の新しい読み」と題した座談の覚書である。
俵さん・大口さん・吉川さんともに、牧水との「出逢い」をひと通り話した後、「恋愛」でもほどほどの人間関係にしか接しようとしない現代、牧水の歌は多くのヒントを与えてくれる、と伊藤一彦先生が口火を切り座談が始まった。小欄冒頭の歌について吉川さんは「さびしさがいい」と、俵さんは「おもひやるは空間と時間」と指摘し「さびしさの根源は故郷」にあり、生きる原動力の「さびしさ」が読めると云う。「辛いときは故郷を思う」誰しもが思う感興を牧水は実感でわかりやすく歌に詠む。恋の話題では、俵さんから近刊『牧水の恋』にもある「先に(歌で)『妻』と呼ぶことで、現実を引き寄せたかった。背景を知らなくても知ってからも迫ってくる」とコメント。「小枝子への思いが恋なのか?」「酒飲まば女いだかば足りぬべきそのさびしさかそのさびしさか」の歌を、無駄のない繰り返しと捉え牧水は「正直な人」と俵さん。「恋(という概念は明治時代に)海外から入ってきた概念、理想像を追うができなかった。だが寺男などへの人間に対する優しさは、恋の挫折があったからでは」と吉川さん。「君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ」からは「古代的でヤマトタケルとオトタチバナヒメ」を指摘する島内景二さんの読みも伊藤先生から紹介された。
司会の伊藤先生から「本心をいかに歌うか、歌壇に評価されようとは思わない。なつかし・ あくがれと共通する遠いものを探す人間の根源的な感情」という指摘。大口さんからは「着換すと吾子を裸体に朝床に立たせてしばし撫で讃ふるも」という歌に「現代にない子どもへの価値観。子育ての原点、存在そのものがそこにいるだけでよい。撫で讃ふる 実感。」という指摘。再び伊藤先生からは、「晩年の自然詠のよさ」が「瀬瀬走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花」などの歌に読めると云う。まとめとして俵万智さんから、「恋愛向きの女性と結婚向きの女性の二人に出逢った。今後、妻・喜志子作品の評価もしていきたい。」との弁。大口さんからは、「関東大震災のことを雑誌に文章も書く。地震日記などを再評価したい」との弁。吉川さんからは、「ニーチェなど読んでた。人間は頭ではなく身体で考えている。身体と歌が繋がっているのが牧水」との指摘。
約1時間の濃厚な座談が幕を閉じた。
(*覚書メモを元に文章化しており、
座談の内容を網羅的に反映していない面がありますことを、
ご了承ください。)
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