いつ発見できいつ邂逅できるか
2018-09-12
なかなか発見できないもの発見しているのに邂逅できないもの
あらゆる可能性の中で生きるということ
お店などで「発見」はしているのに、なかなかは入れないという場合がある。よく通る道で気にはなっているが、入店する機会に恵まれず数年が経過しているような。いま「機会に恵まれず」と書いたが、正確には「入店する意志を持たなかった」というのが実際のところであろう。いざ入店すれば、すっかり気に入って馴染みになる場合も少なくない。「なぜもっと早く」という思いを持ちながらも、たぶんそのタイミングに何らかの意味があるのかもしれないなどと考えたりもする。
人間は所詮、「思い込み」の動物なのだとも思う。様々な可能性を知識として持っていても、それを自分に当て嵌めて考えることを敢えてできない弱さがある。何らかの機会を通じて、自らの上に実際の事態が生じて初めて気づくことができる。こうした意味では、恣意的な「想定外」ということの方が遥かに多いことにハッとしたりもする。だからこそ、「自分にだけは(起こらない)」が「自分に」なった際に、どんな対応ができるかが重要なのだとも思う。
数年、気になっていた珈琲専門店
甘い香りの「カメルーン」産をいただく
この邂逅の意味は、今の時点ではまだわからない。
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