読みが分かれる活発な議論ー第327回心の花宮崎歌会
2018-09-02
広がり過ぎる「世界」という語彙内輪でしか理解されない固有名詞
初句七音に違和感はあるか・・・
やや秋めいてきた宮崎、第一土曜日定例の宮崎歌会が開催された。冒頭には8月に県内日向市で開催された牧水短歌甲子園の報告が事務局長からなされ、県内の高校生やその後の大学生歌人が育って来ていると伊藤一彦先生もコメント。心の花宮崎歌会にも宮崎大学短歌会の学生や教員として就職した卒業生が参加するとともに、高校生あるいはある歌人の方のご子息(小学生)も出詠したりと年齢的な拡がりを見せつつある。短歌に関するイベントへの参加者の平均年齢の高さが気になっていたが、牧水短歌甲子園も8回目となって、若年層への広がりという効果が確実に産み出されてきている。さて歌会冒頭は担当者の「3首鑑賞」であるが、今回は「二句切れの歌」というテーマで、「式子内親王・釈迢空・横山未来子」の3首の鑑賞が述べられた。こうしてテーマに沿った歌の鑑賞は、焦点がはっきりするとともに多くの歌集から選ぶので勉強になると伊藤先生からコメント。韻律の問題については、僕自身も広い視野で追究していきたいテーマでもある。
今回の歌会では、牧水短歌甲子園よろしく活発な議論がなされたが、覚書として次の三点の論点を記す。まずは「世界」という語句の使用について、「広がり過ぎる」という指摘があった。「人は」「人間は」などであったらどうか?「世界」とは便利な語彙でついつい使いがちかもしれないが、実に観念的で「理屈」になりやすい危惧がある。僕自身の経験で言うと、短歌ではないが修士時代の投稿論文の合評会で、「和歌世界」という表現を徹底的に指摘された苦い経験がある。二点目、内輪でしか理解されない固有名詞、牧水短歌甲子園の審判の歌人名や宮崎歌会のある方の歌集名などを歌に詠むということ。これはこれで「心の花」という社会の中では通用するので、状況に応じて可であるという見解が示された。まさに「ひろく ふかく おのがじしに」ということであろう。三点目として「初句七音」字余りは気になるか否かという議論。僕自身が投票した歌でもあったので、むしろその初句の字余りが「疲れ」「落ちる」といった一首の方向性の序となっているようで、有効に機能しているのではという意見を述べた。伊藤一彦先生も塚本邦雄の「初句七音」の歌を例に挙げ、まったく否定される手法ではないというご指摘。韻律論の上で聊かの指摘を加えるならば、「一句4拍×5句」で構成される短歌は「5音」部分にも「4拍」が配分されており、その「休音」との関係で七五調などは流暢な韻律となるわけである。よって本来は「5音」の初句に「7音」が配されても、(もちろんその後の歌の続き具合が大切だが)違和感はない場合もあるわけである。
伊藤先生の5首選に宮崎大学短歌会学生の歌も
俵万智さん『牧水の恋』も出版され、牧水祭も近し
9月は益々、短歌で元気な宮崎である。
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