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あの雲の足もと

2018-09-01
様々な雲の表情・エリンギ型・こま切れ型
あの雲の足もとでは
誰がどんなことを考えているのだろうか?

「智恵子は東京に空がないといった」と云うのは、著名な高村光太郎の詩の一節である。光太郎が生きた時代(明治16年〜昭和31年)に愛する智恵子の感性を詩に詠んだ表現であるが、その後高度経済成長を経て、現在の「東京の空」はどうなってしまったのかと考えることがある。確かに東京にいると空を意識することが少ない。雨が降るや否やを見極めるにも、西側の雲行きを見れば凡その検討はつくものだが、東京のビル群の中でそんな感性の人がどれほどいるだろうか?空の表情・雲の姿形・太陽と月が渡りゆく道、等々、宮崎では一日中空が深く意識できる。スマホアプリに「雨雲レーダー」を入れてはいるが、自分の身体感覚で「雨が降りそうだ」を察知することができて、ほぼアプリの示す「雨雲」と一致していることも多い。

昨日の夕方には、様々な雲の姿形が印象的であった。「エリンギ」のような形をした大きな雲が、北側の空のかなたにそびえ立っていた。いったいどれほどの範囲から、そのような印象で見える雲なのだろう?などと疑問を感じていた。すると最近はSNSがあるもので、同様の雲を写真に撮って投稿している県内の友人がいた。さすれば、あの雲の足もとはどこなのだろう?比較的、縦長な宮崎県の地形を考え、少し早まりつつある夕焼けどきを迎えた。空の様子というのは、自然の上での空間的時間的な意識を覚醒させてくれる。自分が列島のどんな場所に、どのように住んでいるのかという意識。「空がない東京」との距離感、今此処に生かされている意味。あらゆることが「空の下」にあるからこそ成り立っている。有名な「杞憂」=「天が崩れ落ちることを心配して寝食をとらなかった」という故事。「とりこし苦労」を笑うのではなく、それほど空を見て生きていた時代に思いを馳せたい。

あの雲の足もとには
誰がどんなことばを思っているか?
たぶんあの人もこの空を見ていると思いつつ。


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