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漢語と音と語誌と

2018-08-30
漢語は高尚なイメージが明治時代から
路上の公共看板に「嘔吐」
カタカナ語の注釈が付けてある理由

東京の路上を歩いていると、「ここで嘔吐して、道路を汚さないでください ○×区」という看板があった。その場所が学生街であって、そうした注意を促す必要があるのかと妙に気になった。もとより酩酊した夜中では、このような理性的な行動を促す看板もどれほど役に立つものか?そんな効果の問題以上に、「嘔吐」の部分に( )が付けられてその意味がカタカナ語で記してあったことに、様々な思いを抱いたのであった。個人的なSNS上にこの看板の写真を上げると、やはり多方面から反響があったが、特にこの2日間鈴本演芸場で夜の部主任を務める金原亭馬治師匠は、カタカナ語の語誌(言葉の歴史)について、大変興味をもったようなコメントを寄せてくれた。僕自身も興味を持ったので、早速に『日本国語大辞典第二版』で調べると、意外や1935年から1947年頃の用例が挙げられていて、それほど昔からある語彙ではないことがわかった。

だが馬治師匠の調べによると、オノマトペから変化し独立して名詞化した語であって、元来は蛙の鳴き声に由来するという説があることを教わった。その上、蛙は胃袋そのものを体外に出してしまうような生態があって、それもこの語彙の定着に大きく影響しているらしいというのだ。さすがは落語家の調べと見解、江戸時代の庶民的な感覚が反映したような粋な語誌説であった。オノマトペをはじめとしてことばの「音」というのは、その意味・イメージを表現するのに実に重要だ。濁音の持つ下劣なイメージとオ段音の抑えるような身体感覚、こんな作用がここで対象とするカタカナ語の影響力の強さの秘密であろう。小欄にこの語彙を示すのは避けるが、みなさまもうおわかりであろう。誠にことばとは、面白いものである。

夜はまた寄席で「声」に学ぶ
落語家の表現における身体感覚・語彙感覚
懇親会ではまた新たな方々との出逢いがあった。


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