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しゃべることはかんがえること

2018-08-21
なぜしゃべるのか?
なぜかくのか?
きくだけではかんがえたことにならない

「説明会」といった類に出席すると、どこか物足りないような鬱屈した気持ちになることが多い。説明者もわかりやすくを心がけて喋っているには違いないが、「一対多」の構図の中で聴衆に共感と驚愕を与える話し手というのはそう多いわけではない。同じ図式が大学の講義にもあるはずで、真に講義内容を学生が深く理解したという度合は様々であると言わざるを得ない。だが、伝えたいことを課題テーマにして、受講する学生同士が話し合い・活動し・表現するといった方法を採れば、自ずと学生の意欲や理解は高まるという感触がある。活動のみでも学びにはならないのだが、講義との絶妙な組み合わせが肝要と云うことだろう。

ある焦点化したテーマについて話し合うというのは、まさに「牧水短歌甲子園」の形式である。相互に一首の短歌について「アピール」と「質問・意見」が繰り返されることで、その歌の奥深さが垣間見えて来るわけである。このように考えると、「井戸端会議」「床屋政談」といった世間話の類こそが、江戸の庶民の思考を覚醒させていたのだと云うことがわかる。僕などは近所の公共温泉に行くと、時間帯の常連の方々との世間話が実に楽しい。美味しい店の在りか、宮崎の台風事情、地域の風習や生物事情のことなどが常々話題にのぼる。大学と家の往復ではなかなか「地域の住民」にはなりきれないと思っていたが、この「温泉談義」には誠に様々なことを考えさせられている。

自然に相互がしゃべるということ
自ずと個々の様々な考えが駆け巡る
しゃべる動物「ヒト」たる存在意義を見直さなければなるまい。



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