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夏が来るたびあの日と同じ

2018-08-16
また今年も風が通り過ぎた
自らの命もまた薄氷の上で繋がれた
我ここにあり

73回目の終戦の日。「平和」を祈るとは何を思い何をすることなのか?戦没者慰霊式典や甲子園での正午の黙祷、国などが実行する全体に渡る行為は多々あれど個人としてどう考え何をするか。最近は、こんなことこそが大切ではないかと考えている。僕は数年前から、サザンオールスターズの「螢」と「平和の鐘が鳴る」という曲を聴きつつ、今ここにある「我」の命の尊さを実感するようにしている。理念でも観念でもなく、実感としていま「この命」があること。そのこと自体が当然のことではなく、多くの偶然や幸運に支えられてきたことを思うのである。

「ここにいるのは私一人じゃない、過去と未来が繋いだこの命」、先述したサザンの「平和の鐘が鳴る」の歌詞の一節である。自らの父母、そしてそれぞれの祖父祖母、さらには曽祖父曽祖母がどんな思いで「この命」を繋いで来たか。まさにその歴史の上に立って「我自身」の存在があり、また未来へと続くのである。短歌を創るようになって、「我」とは何か?と深く考えるようになった。この現実に生きる「我」が、創作主体としてどんなことばを紡ぎ出すか。そのような「個」があくまで尊重され続けなければならない。

「かの夏に掃射逃れし少年の繋いだ命われここにあり」
(『心の花』120年記念号自選3首の筆頭歌)
いまここにある「我」のいのち


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