初任者だったあの夏
2018-08-15
甲子園のスタンドで引率教員汗と青春の教員時代
ゼミの卒業生もいま・・・
朝から日中は積み残している仕事に追われており、なかなか甲子園などを観る余裕もない。世間のお盆休みを尻目に、ひたすら短歌に関係することと向き合っている。だがふとそんな自分を客観的に見ると、実は望んでいたあり方なのではないかと胸を撫で下ろすような気分にもなる。その客観的になるための契機として、今年の3月に卒業したゼミ生たちが他県からの者も含めて集合する機会に恵まれた。各赴任先で初任者として子どもたちと向き合い奮闘している話を聞くと、教員養成を旨とする学部教員として教師冥利につきる。ゼミから巣立った学生たちが、それぞれに何人もの子どもたちのために力を尽くしている。その個々の子どもたちの豊かな成長こそが、明るい未来を創ると思うゆえである。
かくいう僕にも初任者の時代があった。野球好きな僕にとって、初任校が甲子園に出場できる強豪校であったのは運命的なものであった。赴任早々の春の選抜大会、そして東東京大会を勝ち抜いて再び夏の熱きアルプススタンド応援席へ。野球部が勝ち進めば進むほど、夏休みは応援団引率の仕事で埋まった。研究者となるか現場教員となるかと迷っていた僕にとって、野球部の汗の臭いと甲子園へ行けるという体験は、現場の楽しさ面白さという意味で後者に大きく舵を切る要因となった。赴任した頃がまさに勤務校の黄金時代であったといってよいだろう、毎年のように甲子園まで駒を進め、赴任して数年後には全国優勝の栄誉に立ち会うことができた。そんなお祭り的な学校のあり方に、僕はすっかり「国語教員」として文学に向き合うことをしばし忘れていた。がむしゃらな20代といえばそれまで、大学時代の青春の延長のような初任者時代。あの若さでしか体験できない世界を、僕はくぐり抜けて今に到るのである。
現場に立った逞しい顔
彼らの教員人生もまた動き出している
「自分とは何か?」生きるとはこの問題意識の連続なのである。
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