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うるさくありたい理由

2018-08-10
細かい言動への指摘
「うるさい」ゆえに育つ学生
「情けは人のためならず」・・・

「情けは人のためならず」という諺も、「親切にするとその人のためにならない」などと真意が曲解されることで有名である。元来の意味は「他人への親切は、その相手のためのみならず、やがてはよい報いとなって自らへ返って来る」ということである。こうした諺が巷間で曲解される理由は様々であろうが、概して曲げられる状況が生活の中でよくあることなのではないかと思う。結局、親切にしたところで当事者はその思いやりがわからない。当事者自らが自覚して生活をしないと、むしろ一つの親切が仇になる場合さえあるという事態が多いのだろう。最近、卒業生や学生たちと話していて驚いたのは、夏休みの宿題などはほとんど親が関わって”親切にもやってしまう”のだそうだ。まさしく曲解版「情けは子のためならず」というわけである。

僕のゼミ指導にあたり学生たちの評判は、「厳しい」と言われていると聞いたことがある。確かに、卒論の内容を詰める段でも、日常のゼミの指摘でも、結構なところで厳格に行なっているつもりである。また学生の生活上においても、いわゆる躾の面で意識して口うるさく言うようにしている。「報告・連絡・相談」を的確に行なうこと、時間の厳守、社会的な礼儀を欠かないこと、そして品位ある言動をとること等である。少なくとも教員採用試験合格を目指している学生にとって、月並みな「対策」だけでは二次試験まで突破することは難しいと思っている。要するに4年間を通して、「生活を変える」ことが求められているのではないだろうか。付け焼き刃ではなく、当事者が教員として「生きられる」自覚を育てるということである。

本人が自覚するためにはどうしたらよいか?
「うるさい」「厳しい」と思ううちは自覚がないということ
常に「なぜこの人はこう言っているのか?」を考えられる人でありたい。


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