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悪しき現実への反撃

2018-08-07
評論の語りかける壮絶な意志
和歌たるや現実にどう向き合って来たのか?
人生や身体を賭した志に身震いが・・・

短歌の表現に入り込み、心を揺さぶられ身体に震えを催し涙してしまうことがある。その作用を聊か客観的に述べるならば、自己の境遇や経験として大切にしている部分が、読んだ短歌に共感と驚愕の両面から接触し、まるで自己の疑似体験のような状況になっているといえばよいであろうか。その次元に到達するのは、まったく意外性があり予想もしない折に訪れることが多いような気もする。こうした「心の共振」が、今回は短歌ではなく評論を読んでいて発してしまい、自己の「志」そのものが大きな刺激を受けた稀なる経験をした。

「共振」が起きた要因は何かと興奮を冷ましてから考えてみた。それは我々がなぜ「和歌」を研究し、「近現代短歌」と共鳴し合う点を探ろうとして、自らの身をもって作歌に向き合うことで、「やまとうた1300年」の歴史の上に身を置こうとする、壮大な大海の中で生きているという波動を受け止めたとでも言えばよいだろうか。特に曰く「和歌が、悪しき現実に反撃を試みる際の最強の武器になる。」という一節には、心の共振メーターが振り切れてしまうほどの感興を覚えた。そしてまた、なぜ僕自身が宮崎に住むことになり、牧水の短歌について探究しはじめた意義が、あらためて明確になった。文章でも口頭でも、この次元で人に訴える気迫をもって臨みたいと、あらためて文筆の力に驚嘆したのだ。

「今現在」の当事者として
歴史の上に立つということ
幼少の頃からの僕の興味関心は、ここにあったのではないだろうか。


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