牧水没後90年に寄せて
2018-08-04
9月17日の牧水祭「海の声」オペラ上演なども
年内に様々な企画が目白押し
定期試験も最終日となった。例年よりも新たな担当科目が増えたことで、試験を実施する科目も3科目あった。この後、採点・評価と進むが、学生にとっての前期がこの日で終わった。支援担当の1年生も成績の如何はともかく学生生活の波に乗れて、前期を終了したことに一つの責務を果たした気持ちである。そんな中、地元宮崎日日新聞社の記者の方から取材を受けた。標題とした牧水没後90年企画に寄せて、「近現代における牧水の位置づけ」について考えを聞かせて欲しいという取材内容であった。元来が平安朝古典和歌を研究してきた身として、あらためて「近現代短歌と時代」というようなことをここ3年ほど考えてきた。没後90年という時間の中で、昭和が三文の二、平成が三分の一、決して牧水への評価は常に高かった訳ではない。明治となってから今年で150年、そのうち牧水没までの60年、こう考えると約30年を一つの周期としての五区分のうちで、短歌の上でも社会的にも様々変遷があって今年の没後90年がある。
明治30年代に旧制中学校から大学時代を過ごす牧水、新たなる学制のもとでの学びは何をもたらしたのか?「新たな」とは言うがあくまでそれは制度であって、接する教師や教授は江戸末期から明治初期を生きた人々である。こうした意味でも牧水が学生時代に受け継いだものも、大変貴重な文化的継承ではないかと思われる。例えば既に『牧水研究』の評論で考えてきたきた「音読から黙読文化へ」という社会的慣習の変化の中で、牧水の歌の特徴を捉えることができる。明治40年以前までの「声の文化」の社会の中で育った牧水は、いくつかの状況証拠を確認すると「朗読・朗詠」が実に上手かったことがわかる。それ即ち、牧水の歌に「朗誦性」があり、「力動的」であるという特徴を見出すことができる。『万葉集』をはじめとする古典和歌を朗詠し身体を通すことで、ことばの力強い繰り返しなどにみられる「音楽」(韻律)を我がものとする。決して古典そのものを借用するのではなく、身を通しておくことで自らが詠もうとする素材を実感をもって自らの歌として詠う。その「音楽」というものを踏まえてこそ、牧水の歌の真髄に辿り着くことができるのであろう。
具体的には宮崎日日新聞の記事(8月10日付)をお楽しみに
牧水の短歌にとって僕ができること・すべきことがまた明確になった。
牧水没後90年は、自らの「いま」を検証することでもある。
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