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空蝉のちから

2018-08-02
玄関の軒下
朝刊を取りに出ると空蝉を発見した
風雨をなんともせずしがみつくそのちから

豪雨・猛暑・迷走台風に翻弄された7月が終わり、8月となった。大学は定期試験期間となり、講義棟もいつもより静寂な日々となった。学生の声に取って代わって辺りから聞こえるのは、蝉たちの大合唱である。こうしている今も、自宅周辺で蝉たちが元気に鳴いている。彼らはこの異常気象を、果たして察知しているのだろうか?儚い命のうちで、精一杯の鳴き声を響かせる蝉たちの生き様は、あれこれと愚弄な我々に自然とは何かと考えさせてくれる。つい先日も、玄関のポストに朝刊を取りに出ると、その軒下に蝉の抜け殻がしがみついていた。迷走台風のもたらした雨風にも飛ばされず、未だその脚で壁の凹凸を抱いている。この姿の意地らしさに、自らを励ます何ものかを発見した。

脱皮して新たな世界へ飛び立つ、その「抜けるちから」はいかばかりかと感じ入った。「産みの苦しみ」という常套句があるが、人間としての浅はかな想像からすれば、かなりの「ちから」が必要であると思われる。しかもその脱け殻は美しいほどに原形を保ち、軒下に逆さまにしがみついたままである。「脱け殻」という語彙の比喩的な意味として、「魂を失った」「精気のない」が一般的であろうが、玄関先の蝉はむしろ「生気あるちから」を僕らに示しているようだ。ここから抜け出した蝉は、いまどこで鳴き続けているのだろうか。否、庭先や車庫では、仰向けに地面に斃れた蝉を発見した。鳴き尽くし仕事を終えたその身体には、今度は小さな蟻が群がっている。自然の摂理この生態系の循環の中に、抜け殻も斃れた蝉もが位置付けられる。果たして人間はこれほどの「ちから」を持ち、自然の中で生きているのであろうか?

自らの殻を破るちから
人間も潔く「その次」の生き方へ歩まなければなるまい
「脱皮しない蛇は死ぬ」(ニーチェ)のである。


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