いま10年目の夏に立つ
2018-07-30
恩師からいただいたバトン卒業生も社会人として親として
短歌に身を置き10年目にして立つ
人生に何度かある激しき変転の時節。僕にとっては、もう11年前になったあの夏がまさしくそうであった。4月に恩師が入院加療のために、7名の卒論ゼミ生を僕が前期のみ代講として担当することになった。夏季休暇中のゼミ合宿で恩師に指導を戻し、後期からの復帰を意図していた。だが7月18日に、恩師はあまりにも急に帰らぬ人となってしまった。ゼミ生たちのショックもいかばかりか、同時に僕自身も深い悲しみに暮れる日々であり、また博士論文の審査申請を控えそれがすべて白紙に帰するような境遇になった。しばらくは研究などもうできないのではと、思うほど落ち込んだのだが、学部卒業を控えたゼミ生たちは何としても卒論まで漕ぎ着けねばならないという使命感をもって、再び立ち上がる力とした。幸いこのゼミ生たちは誠にできた学生たちで、平安朝文学にお互いが深い議論を展開できる誠に主体的な学生たちであった。僕自身も手探りな初めての拙い卒論指導にも付いて来てくれ、全員が卒論を書き上げて卒業旅行に平安朝文学の舞台である京都をともに訪ね、彼らはそれぞれの社会に巣立って行ったのだった。
あれから11年が経過した。このできたゼミ生たちは、卒業後も7月になると恩師の墓参には必ず集合することが恒例となり、今年で丸10年の節目を迎えた。今年も幹事役の女子が連絡を徹底してくれ、墓参と近況報告の宴を持つことができた。彼らは既に人の親となっている者も多く、仕事でも新たな節目の時期を迎えている。今年は僕自身の「教授昇任」もと、お祝いの心も込めてくれた。現在、僕が卒論指導を為し得ているのも、このゼミ生たちとの経験によるところが大きい。忌憚ない意見を言うという前向きな姿勢をゼミ生個々が持つことで、社会へ向けた人間性も育むことができる。またこの10年目にして、僕自身が再び「国文学」関連講義を担当することになったのも偶然ではあるまい。恩師の見えない力が、何らかの作用を施してくれているような気がする。そしていま、僕はあらためて和歌・短歌の「やまとうた」の歴史の上に身を置くようになった。2007年には、非常勤講師で先の見えない道を歩んでいたことを思うと、隔世の感がある。今年もまた、かの初代ゼミ生たちに力をもらい、豊かに自分の道を歩もうと誓った。
恩師の笑顔が浮かぶ
ゼミ生たちの人生に僕こそが力をもらう
短歌に生きようとする僕を恩師はどう思ってくれているであろうか。
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