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「内容学」と「教科教育」と

2018-07-27
「文学研究こそ最上の教材研究」
恩師の言葉が反芻されるこの夏
「内容学」の意義をあらためて「教科教育」へ

今夏、13回忌を迎えた恩師の言葉で座右の銘としているのが、冒頭に記したものである。元来、平安朝日記文学研究を旨とする恩師の学問は、教科書編集を始めとして「教科教育」にも広く向けられていた。その姿勢は、現職教員にも大学院進学の機会を与えるべきと夕刻からの時間帯に演習を設定していたことにも表れており、その配慮に僕自身は大変助けていただいた。小・中・高・大と様々な現場の〈教室〉で、「よい授業」をするためには、まずその扱う「文学」の「内容」に精通していなければなるまい。至極当然のことであるが、往々にして「現場」はそれを忘却している場合が多い。いわば、対処療法として「授業の方法」「枠組」「戦略」「態度」などの改善と称して、傷口に絆創膏を貼り付けるようなことばかりを考える傾向にある。「授業」でも「試験」でも学習者と対話する営為においては、あくまで自らがその素材たる文学・評論と深い対話をしていることが前提であると思う。

最終週を迎えている今年度の前期講義では、「教科教育」と「内容学(国文学)」とを「二刀流」で担当する機会に恵まれた。この5年間で培った「教科教育」の講義においても、できる限り教材の「内容学」を活かす工夫は施してきた。だが学生がどの程度の「内容学」に対する理解があるか?という点においては手探りであったのも確かである。今にして双方を担当することで、むしろ教育学部の「内容学」で何を啓発すべきか?という問題意識が高まった。やや皮肉的な物言いが許されるならば、従前の文学研究のあり方そのものを反映して講義で押し付けるだけでは、むしろ中高の古典教育のあり方を歪める危険性が大きかったようにも思われる。何より教壇に立つ学生(教員免許を取得する学生)たちが、まさに主体的に「国文学」と関わる「内容学」を構築せねばなるまい。少なくとも「国文学」に生きる上での意味を見出すほどの、センスと興味は身につけておいてもらいたいと願う。この前期では膠着した講義に、「現場の教材としてどう扱うか?」という視点を導入することで、新たな展開が得られた。自らの「国文学」担当講義は、開発発展途上進行形であり、むしろ向き合う学生たちとともに創って行きたいと考えている。

あらためて「生きる上で文学とは何か?」
「古典をなぜ学ぶのか?」
教育学部が肩身の狭い思いをせずに、学問としての矜持を保つためにも。


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