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授業が「できる」ようになるとは?

2018-07-26
「基本実習」前に「授業ができる」よう
専門の学びを〈教室〉に開くために
「初等国語教育研究」最終回の巻

今年度前期の講義も大詰めを迎えた。特に3年次の「教育研究」と冠する教科教育講義は、8月末からの教育実習で学生たちが、附属校で実際に「授業ができる」ようになるという具体的な目標がある。この最終2週間は、「初等国語教育研究」の班別代表者の模擬授業発表であった。班内で学習指導案を練り上げ、その過程で教材研究を深め、相互に学び合う協働活動を経てこの「授業」という具体的な行為に漕ぎ着けた。「授業をする」ということは、どのような状況であれ心が揺さぶられるものである。その授業者の心の”揺れ”に学習者が絡みついたとき、共振が起きれば伝わる「授業」になるのだと思う。「模擬授業」ながら、計12名の学生たちが真剣な眼差しで取り組んでくれた姿には、僕自身の心を大きく揺さぶるものがあった。

教材に描かれた文学世界を、共感と反発をもって後継の世代につなぐ。文学的文章を学ぶ意義は、まさに文化的な世代間継承でもあるように思う。そのリレーのバトンを落とさぬようにつなぐのが、「国語教育研究」の講義の使命でもあろう。「かさこじぞう」の民話性、「ちいちゃんのかげおくり」の戦争文学としての継承、小学校2年生3年生の子どもたちに、なにをどのように教えるのか?教材・学習者・指導者の三角形において、それぞれが主体性をもって対話する関係性を構築したい。となれば大学講義であるこの講義科目そのものも、限りなく広い対話生が求められていると考えている。少なくとも「教科教育」の講義は、知識の切り売りでもなければ、「授業はこうしなさい」という問題提起でもない。学生たちが実習をする〈教室〉には、生きた子どもたちがいる。その子どもたちにとって、実習とはいえその教材の「授業」は一生に一度の貴重な体験なのだ。僕たちは、その生きた体験を創るために大学で学生たちと協働するのである。

この前期で「国語教育研究」の担当は終了。
5年半の営為は何らかの記録として遺したい思いもある
学生たちが実習で「授業ができた」という笑顔と涙が見たい!


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