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「寂しみて生けるいのちの」ー牧水の酒に思う

2018-07-11
「寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに」
(若山牧水『山桜の歌』より)
寂しきゆえの酒、人はなぜ酒を飲むのか

「最近の若者は酒を飲まなくなった」などと、いつから世間では言われるようになったのであろうか?確かに僕らの”世代”からすると、大学生活の様々な場面で酒を飲む機会そのものが少なくなっているような気もする。さらにいえば、行事的なものの打ち上げ機会に乾杯を託したリーダー的存在の学生が「烏龍茶」片手に発声をしたのには、僕としては聊か驚いたと言わざるを得ない。僕自身の経験からすると特に学部の指導教授が酒好きであったことから、日常的な研究会で学内外を問わず飲むのが常道な環境であった。自ずと先輩たちも酒好きに仕上がっており、代々その飲酒機会は引き継がれていくようなところがあった。それはもはや「理屈」で説明できることではなく、文学を語り議論をし尽くすには、舌を滑らかにする酒が不可欠であったのが実感である。こうした意味では、現在の学生も「環境」さえ作れば飲まない訳ではないというのが実情と思う。

牧水の酒の歌367首を読んでみると、その純朴な精神に出逢い直した気持ちになる。晩年は特に「朝二合・昼二合・夜六合」の一升が「最低限」であったと、そばにいた弟子の大悟法利雄が書き記している。残暑いまだ厳しき9月に亡くなったおり、3日間が経過しても屍臭や死班も出ずに遺骸は綺麗であったと医師が記している資料もある。まさしくアルコール含有量の効果なのであろう。それから今年で90年。なにゆえにそこまで酒を飲むかのか?冒頭に引いた歌をあらためて読んでいて、聊か涙腺が緩んでしまった。「寂しみ」があって生きているから、その「ひとつの道づれ」が酒だと云うのである。「酒のめばなみだながるるならはしのそれもひとりの時に限れる」(『白梅集』)という歌もあり、「寂し」くて泣きながら飲んでいたことが知れる。旅を愛し自然と親和的に融け合う牧水の生き方は、どこかで「孤独」との格闘であったのかもしれない。宮崎に住む僕自身には、少しはその境地がわかるようになったという「涙」であった気がした。

「さびしさのとけてながれてさかづきの酒となるころふりいでし雪」(『路上』)
「酒」と「雪」のみが漢字表記のこんな歌も・・・
「寂しさのはてなむ国ぞ」「酒なしにしてなにの楽しみ」牧水のこころ


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