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学生に資するもの教育に資するもの

2018-06-29
講義内容と方法は常に振り返り
学生にとって意義深いもでありたい
「国語・国文学」の生きる道・・・

中高教員経験が長いゆえに、大学の担当講義においても常に自らの授業の振り返りへ意識が行ってしまう。学生たちにとって意義あるものとなっているのか?学生たちが現場教員になった際に、資するものとなっているのか?何より純粋に学生の興味関心を喚起しているのか?等々、常に自身の講義を客観視していたいと思う。宮崎大学に赴任してのこの5年間も、常にこうした意識を持ち授業改善を模索して来た毎日であった。特に「国語教育」担当として「授業法」を中心に担当しているわけであるから、自らの講義の「授業法」そのものが画期的で最新の方法論で展開したいという気持ちも大きかった。幸い学生授業評価では、学生の期待に応じた内容を展開できていたと自負できる。

今年度から「国文学」関係講義も担当することになった。自らの本道である研究分野を講義として展開できるのは、先日の放送大学が実に充実していたように嬉しいものである。だがやはり経験としては、約10年ほど前の非常勤講師として「国文学」を担当したものへと遡るわけで聊か心許ない。前任の先生の講義内容を引き継ぐ形で内容を設定したが、最近は果たしてそれでよかったのかと疑問に思うことも多い。それは前任の先生の専門分野である物語文学については、如何にしてもそれを超えることはできないからである。もちろん「文学史」などは、和歌を中心に展開することで描くことのできる上中古文学ゆえに、納得した内容が展開できている。それは『伊勢物語』を扱う講義も同じである。要するに何事も意志のない「二番煎じ」は、活気づいたものにはならないのである。果たして教員となる学生たちに資するものとなっているか?自分の研究の価値を踏まえて、今一度検証し直そうかと思う。

「教育学部」における「国文学」の意義
「文学部」で自らが受けた経験則のみではいけない
改めようと思ったらすぐに改めるのが学生のためである。


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