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牧水から古典和歌への旅ー放送大学対面講義(2)

2018-06-25
素性・業平から万葉集へ
牧水がこだわった万葉の音読
そして和歌・短歌の社会的価値とは・・・

放送大学対面講義2日目。梅雨ながら晴れわたる日向の街、起床してすぐに牧水生家のある東郷町方面の山並みを眺む。やや雲がかかりつつ明るい光がきらめき、牧水先生の息吹が伝わってくるような感慨に耽る。ホテルの窓から流れ込む新鮮な空気、自然そのものに同化している自らを発見し、けふもまた講義準備を整える。昨日に引き続き、『古今集』前後からはじめさらに『万葉集』へとつづく旅。その道すがら、和歌・短歌とはいかに人間社会と関わって来たかを考えていく。素性の歌によめる「女装」の詠法、業平には物語主人公としての演技・演出があってこそ勅撰集に収載される歌となる構造をみる。『古今集』仮名序にある「天地(あめつち)を動かし」「目に見えぬ鬼神をあはれと思はせ」「男女の仲をも和らげ」る歌の効用は、現在の社会にも生きているはずである。

牧水の近現代短歌史における位置付けや古典和歌の表現・効用を講じたのち、午後の一番には「和歌・短歌の社会的価値」について講義内レポートを書いてもらった。人文学軽視の波を中央が起こしている矛盾した社会で、果たして豊かな国家と言えるのであろうか?平安朝和歌の世界観は、21世紀に生きる我々にも大きな警鐘を突きつける。その後は『万葉集』の代表歌を抄出した資料に基づき、歌を音読しながら解説をつけて進める。長歌を中心に響く五七調の韻律、受講者の方々もかなり馴染んできた。万葉の力強さには、歌に前向きに接する意欲が湧いてくる。牧水が万葉の音読をしていたことは、資料の上で明らかである。自らの破調歌に嫌気がさした際には、この万葉の歌を上手く音読さえできなかったとさえ書き記している。また歌ができない時の対処法として、「散歩」「音読」「風呂」を挙げたのちに、最後に「酒」を挙げているあたりの意地らしさに、牧水の純情が見えると受講者とともに感得する時間を共有し講義はお開きとなった。

最後には受講者からの拍手もいただき
教師冥利につきる2日間に
「学ぶ」ことの尊さをあらためて感じる時間となった。


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