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「答え」のみの表層的思考はいかに?

2018-06-23
「説明」ではなく単発な「答え」
さらには具体的な理由を添えて提供する思考
人に伝わる内容にするために・・・・・

担当の「国文学史1」にて、『土佐日記』冒頭の一文を高校生にわかりやすく説明する、という命題を設け、個人思考から班別で話し合った後に発表するという内容を実施した。発表の観点は3つで、(1)文法(2)解釈(3)文学史的位置付である。(1)文法の説明をすべての班が終えたところで、「やはり」という気づきを僕自身はもった。それは「なり」という助動詞の意味だけを「答え」のように提示する発表がすべて班から行われたのである。「なぜ、前者が伝聞で後者が断定であるか?」というまさに一番説明したい要素がすっぽりと抜けてしまっている。「答え」だけが核心的に存在し、それがわかれば理由などどうでもよい、というような社会的風潮が彼らの思考に被さっているのを僕は実感した。

何より高等学校での学習そのものが、「答え」のみを導く「センター試験対策」に陥っていないだろうか?僕自身が高校教員時代から聊かは感じていた懸念が、今や高校生全般に蔓延しているのだろうか。またゼミ生の記す研究課題を400字程度でまとめた文章なども、実に単発的で語彙の内実に具体がなく、空虚に物事の関連性の薄い文章であることも大いに気になる。断片的な知識のみが意義を知らされず詰め込まれているようで、その思考を「大学教育」が変革させなければならないと常に思う。否、その「大学教育」でさえも、知識の切り売りに終始する場合も少なからず散見されると、この国の「先生」と名乗る人々の学力観やいかにという思いに至る。少なくとも短歌で目を引くものは、内実や具体、物語や想像、比喩の構造など、表面的ではないよみを求めるものである。「思考」は「言葉」に司られる、とはまさにこういうことであろう。

表層的な学習のあり方
質にこだわってどう意識をもつか
知性ある学びをあらゆる方面で喚起しなければなるまい。


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