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なぜ音楽好きはバンド活動をするのか?

2018-06-20
「聞く」ことから表現する活動へ
鑑賞だけでその音楽の真髄はわかるのか?
バンドでカバーをする意味などから考える

県の教育事務所関係の担当者の方々と、秋に実施する「読書推進活動」に関する研修会の打ち合わせ時間を持った。先方の作成された計画であると、僕の「講演」が冒頭に30分ほど用意されていた。全体で使用できる時間は決まっており、できればゼミ生が参加するワークショップ形式の研修にしたいと要望を述べた。双方で削るべき時間はどこか?と対話を進めたが、僕自身は迷うことなく「講演をやめましょう」と進言申し上げた。ありがたいことに先方の構想では、やはり僕自身の講演を県内多くの図書担当教員に聞いてもらいたいのだと云う。だが既に何度か経験があるのだが、こうした研修で講演をすると間違いなく固着した雰囲気となり、活発な質疑にもならず「対話的」なものにならないことを僕は知っている。そこで冒頭から学生の群読活動などを実施して、そこに僕がコメントを加え、参加者にも感想・意見を引き出すような活動的研修を提案することになった。

とりわけ「読書推進」と言った際に、指導者自身の「推進」はどうするのか?と疑問に思うことがある。「主体的な学び」というお題目が唱えられているが、それは学習者のみならず指導者もそうあるべきと思う。指導者が「読書を面白い」と思うからこそ、学習者にもそうした意識が芽生えるのではないか。僕自身は(現在休止中ではあるが)、あるアマバンドのメンバーである。なぜ好きなアーティストの楽曲を「カバー(コピー)*演奏・歌唱をほぼ同じように再現すること)するのか?それは単に受け身で聞いていただけでは、わからない楽曲の深い味わいに近づくためである。自分たちで演奏して録音を聞き返してみると、「本物」とのあまりの違いに愕然とすることがある。だがその未知の距離を実感してこそ、愛好するアーティストの実力のほどが真にわかるのである。「講演」を聞いているだけではダメ、ましてや閉鎖的な場に閉じこもっているだけでは、「主体的な学び」は生み得ないのである。

深い理解をするには自ら表現すること
国語授業の「鑑賞」とはいかに?
活動的研修スタイルなくして、活動的学習は実現しない。


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