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「わかりやすさ」の落とし穴

2018-06-15
何事も「わかりやすい」が求められる
表面的で厚みのないことばが氾濫する時代
「わかりにくい」ものを考えてこその人間なのでは・・・

担当講義の「中等国語教育研究」では、後半の教材ジャンルごとの指導案作成と模擬授業の実施時期となった。最近気になっているのは、こうした教育分野に端を発して社会全体が「わかりやすさ」だけを追求する傾向である。言い換えるとそれは表面化・単純化であり、物事を奥深く考えることを避けているのではないかと思ってしまう。特に「授業」の場合でも「わかりやすく」を指導者に求めるのだが、本来は「深く考え話しやすく聴きやすい」授業こそが求められるのではないだろうか。バラエティ番組が展開する「二者択一」的単線思考や、知識を遊び道具にした格付け思考などが、政治をはじめとして社会全体に蔓延しているのではないかと危惧するのである。

実際に僕が過去に勤務していた中学校・高等学校でも、「わかりやすさ」を求めるがあまり、板書のチョークの色を的確に使い分けるとか、見ただけで理解できるプリント作成などを、管理職が口にして求める状況に遭遇したことがある。だが果たしてそれは真の学びを醸成しようとしているのだろうか?と僕は大変疑問に思っていた。「類別」するというのは重要な思考過程であるが、指導者がチョークでそれを施し押し付ければ、学習者が自ら考えて「類別」する思考を奪う。散々とした事項を自ら整理してまとめることで、時系列やテーマごとに奥深く考えることができるわけで、その過程を「ワークシート」と称して指導者が与えてしまうとやはり、大切な思考過程を奪うことになりかねない。したがって僕はその時、こんな決意をした、敢えて「わかりにくい」授業をしようと。

「わかる」より「考えたくなる」授業
静止し押し付けるより自ら動きたくなる授業
知的であることが正常である社会であり続けるためにも。


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