地下水を吸収し育つ和歌ー「国風暗黒」の捉え方
2018-06-02
国風暗黒時代=漢風讃美(謳歌)時代和歌は地下に潜り、表層に出ている漢詩文から
地下に滴る要素を吸収し晴の場に出るのを待った
今年度から担当している「国文学史1」の講義も、「上代」から「中古」へと入った。記紀歌謡から神話に万葉集と、上代の歌のあり方についても再考する点が多かった。ひとえに「やまとうた1300年」とはいうが、その脈々とした時代の中の個々の歌の韻律や抒情をあらためて考えてみるべきと思う。「文学史」などを考える際は特にそうだが、ともするとあくまで「現代」から考えた「恣意」に過ぎないと考えてしまうこともある。上代からの距離が厳然としてありつつも、その後の時代で万葉集がどのように享受されてきたかを念頭に置くべきであろう。しかも単なる年代・作者などの暗記でもなく、概念化された歌風の空虚な語彙を覚えることでもない、生きた歌の命脈を咀嚼する文学史が必要であろう。
「上代」から「中古」へ流れは、やはりまず「漢詩文隆盛」から始めねばなるまい。万葉集の家持歌で和歌の表現位相が変化してきた流れを知ると、たぶん学生たちは「平安」となれば一気に「和歌」が全盛に花開くといった考えを持つのではないか。ところが「平安」初期は、周知のように「和歌暗黒」の時代が到来するのである。出典論を中心にした和漢比較文学研究の泰斗・小島憲之の命名したこの表現には、考える者をそそり立たせる要素がある。僕もちょうど大学1年生の頃だったか、図書館でこの書名を発見し借り出して紐解くと、そのオレンジ色の大著のインパクトが計り知れず大きかったのを思い出す。その出会いから和漢比較文学を志した、と言っても過言ではない。「暗黒」のイメージを現在の学生に聞くと、「地下」「暗い」「陰湿」のようなものが挙がる。そんな土壌に潜り込んだ和歌が、表層の漢詩文から滴り落ちる「漢」の要素を吸収し『古今和歌集』という晴の場に出るべく、その表現を改鋳し続けたのである。
新たに文学史から学ぶこと
個々の歌を読まずして文学史の何たるか?
「悲秋」「菊」「閨怨」など漢詩文から滴る地下水を受けた和歌を読む。
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