ことばと格闘する
2018-05-29
文語と口語今もなお表現の位相に逡巡する
名前への興味・ことばの響きの問題なども・・・
中古文学会の二日間を終えて、早朝に宮崎へと帰ると南九州は梅雨入りとなっていた。低気圧に抗うように飛ぶ搭乗便は、かなりの抵抗を受けて揺れが激しい。だがその揺れに動じないほどの、ことばとの格闘が自身の内部にあるような気持ちになった。短歌を始め様々な「ことば」を、自らの心で抱き込むこと。自身の身体的内臓的な部分から発する、生身の「ことば」とは何か?その動物的な力を、他者に感じ取ってもらうにはいかにすべきか?あれこれと煩悶し、心が逡巡するがごとく、機内で過ごす1時間半前後の時間が貴重だ。このような、ある意味で集中した瞑想的とも言える時間が、大変に重要だと思う今日この頃である。
宮崎へ帰り午後からは『伊勢物語』の講義、「東下り」後半部分を講読する。まさに著名な「都鳥」が登場する場面で、隅田河のほとりで詠まれたという「名にし負はば」の初句にあるように、「都という名前を背負っているのなら(都のことに詳しいはずではないか)」といった、名前へのこの上なきこだわりの感覚を学生たちと考える。もちろんそれ以前にも、駿河国では「宇津」という土地に、「鬱蒼」とした「憂鬱」な感慨を抱くことも描かれており、ことばの響きと意味へのこの上なきこだわりの意識が垣間見える。元来は「ことば」というのは、これほどに重いものであり、我々の認識や言動を左右するものである。夕刻からは宮崎大学短歌会歌会を開催、やはり自らの歌の文語性と口語性の狭間で煩悶する貴重な機会となった。
ことばと同じ土俵に上がること
がっぷり組んで身体で受け止めること
自らのことばを自らのものにするための闘いが続く
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