高度な知性なくしてわからない「国語」
2018-05-25
「言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次の通り
育成することを目指す。」(新学習指導要領・中学校・各教科・国語「目標」より)
前期の講義も三分の一が終わり、基礎基本から応用に入る時期となった。毎年この時期には、附属中学校の先生においでいただき、教育実習へ向けた実地指導を実施している。内容は「学習指導案の書き方」ということで、授業及び学習活動を実際に作り出す「設計図」を描くということになる。その際に参照すべき重要な指標が、「学習指導要領」であることは言うまでもない。現在は、昨年告示された新学習指導要領への移行期間であり、現行の学部3年生が現場に出て教師になる際には、この「新」が完全実施となる。その「国語の目標」を冒頭に示したのだが、あらためて読んでみると、中学生のみならず現在の日本社会に生きる人々全員が反芻すべき重要な要素が示されていることがわかる。「言葉」によって「見方・考え方」は働かせるものであり、「話す・聞く・書く・読む」といった領域の活動を通して、「正確」な「理解」と「適切」な「表現」をする「資質・能力」を「育成」するのだ、という文言である。
敢えて学習指導要領の文言を繰り返したが、政治・行政に関わる人間のこうした「資質・能力」が誠に情けないほどの次元であることが、昨今露わになっているからである。また学習指導要領では、「社会生活」においてこうした能力が発揮されることを意図して記されている。例えば、「社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。」と上記目標の「項目(2)」にある。だが真実を「伝え合わない」ように隠蔽し、余計な「思考力・想像力」を働かせる輩は、社会の円滑さを揺るがす悪だと言わんばかりの実情がある。社会というものは「要領」で回っており、所謂「忖度」や「強制」などはいつもあるものだ、という「空気」の横行と蔓延である。これが実は知らぬ間に社会の様々な領域に撒き散らされてしまっているが、良識ある者はこれを「反知性主義」と呼ぶ。附属中学校の先生は、清水義範の文章を引いて学生にこう語りかけた、「国語は、高度な知性なくしてわからない教科なのである。」と。
「社会生活に必要な国語」
「国語」そして「人文学」さらには「教育」についても
その「高度な知性」なき者たちを反面教師として、僕らは現場を歩むしかあるまい。
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