「白つゆか玉かとも見よ」ー牧水歌と『伊勢物語』
2018-05-15
「白つゆか玉かとも見よわだの原青きうへゆき人恋ふる身を」(若山牧水『海の聲』より)
牧水と古典を考える
本年度から担当している「国文学講義1」では、『伊勢物語』を講読している。毎回、和歌に表れた人の心を読み解くことを個人とグループで段階的に実践して、物語本文(地の文)との相互関係に気づいていくことで、歌物語の読み方を身につけ興味が湧くような構成で展開している。本年度5回目となり、ようやく二条后章段「芥河」(第6段)の回となった。大変著名ゆえに高等学校教科書にも掲載率が高く、学生たちにとっても馴染みの深い章段である。だが果たして高等学校の授業で、本当にこの章段の魅力を味わっているかというと、なかなかそうでもないようだ。文法事項の確認に終始し、現代語訳にしてわかったような気になっている状況が学生たちの反応から窺い知れる。そこで文法知識は和歌に表現された創作主体の心情を深く理解するためにあるのだという立場で、歌の「こころ」を文法事項によって説明するという課題を与えて、講義の前半は数人で相談して自らの読みに気づくという活動を実践している。
冒頭に示したのは、牧水第一歌集『海の聲』所載歌であるが、恋に落ちた若き牧水が故郷に帰った際に、無医村であった都井岬で仕事をしていた父を訪ねて「南日向を巡りて」という状況で詠まれた歌である。初句・第二句「白つゆか玉かとも見よ」には、『伊勢物語』第6段にある「白玉かなにぞと人の問ひし時つゆと答へて消えなましものを」が踏まえられていると、既に島内景二氏の指摘がある。容易に叶わぬ困難な恋をした男が、逃避行をする際に連れ出した彼女が草の上の露を見て「かれはなにぞ」と男に問い掛ける。緊迫した逃避行の場面で草の露のことなどもわからずに問い掛ける上流な女の言葉に、男はなお一層恋心を揺さぶられるといった内容が『伊勢物語』である。その後、女は雷雨を避けるために押し込めた蔵の中で「鬼に食われてしまった」と物語は展開し、前述した後悔の念に満ちた歌を男が詠むという内容である。牧水の場合は、「人恋ふる身」であると自らを表現し、故郷の日向に帰りその海を見て、遠方にいる思い人の小枝子に「この私を白つゆとも玉とも見てください」と懇願する歌である。「白つゆ」ははかないものの象徴であるが、「玉かとも」と言っているあたりを見逃せない。「白玉」と表現される『伊勢』の歌を重ねると、「(真珠のごとき)貴重なもの」という意味も浮かび、「私を掛け替えのない人と見て欲しい」という熱烈な牧水のこころを読むことができる。
牧水の歌によむ古典性
来月開講の「放送大学」対面講義のテーマでもある。
元来の古典研究と牧水研究の融合点を探る日々である。
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