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漢文脈再考ー「山河草木みな光あり」の意義

2018-05-12
「春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり」
(佐佐木信綱『山と水と』より)
第四句=漢語「さんがそうもく」=七音

明治維新から150年目の今年、この「近現代化」の歴史の渦中で僕たちは今でも生き続けている。明治・大正・昭和・平成そして・・・考えてみれば、祖父母は明治や大正の生まれであった。幼少の頃に新潟に在住する祖母から手紙をもらった際に、「こちらでも、ようやくてふてふがとびはじめました。」と文面にあって、新潟には「てふてふ」という特殊な生き物が飛ぶものか?と幼心なりの恐怖心とともに、その仮名の綴りに大変深い興味を覚えたのを記憶する。母親に聞いてそれは「ちょうちょう」と読むのだ、と知った時の衝撃は甚だ大きかった。こうした幼児体験が、僕を今のような職業に導く根になっているような気もしている。要するに祖母は、明治の言文一致の流れを受けて、旧仮名や文語と新仮名や口語が混沌と使用される時代を生きていたことを、親族内の生身の体験で知ることができたことは、大変貴重であったわけである。

担当する「中等国語教育研究」にて、「高等学校で古典を学び意味を、教師として説明する。」というワークを毎年実施している。また「現代文と古典ではどちらを担当したいか?」といった質問に理由をつけて答え、全体で議論することも行なっている。学生たちの直近の教育体験である高等学校国語(古典)において、真に「古典学習の意義」を理解して学んで来た者は、残念ながら稀である。特に「漢文」学習などにおいては「センター試験で課される」というのが大きな意欲であり、日本語の成立して来た上での重要な「接触と乖離」といった歴史的な意義、いや現在にも連なる日本語史を意識した学習へと導く高等学校教師が稀なのである。もとより高等学校教師が、こうした「漢文脈からの離脱」によって近代の口語体が成立した意味をほとんど理解していない。冒頭の信綱の歌は、昭和26年出版の歌集『山と水と』所載の名歌であるが、第四句の「山河草木」という漢語の「七音」を実に巧みに利用した歌である。

こうした明治の時代背景において
石川啄木と若山牧水はいかに自らの文体を確立したか?
本日は、いよいよ「牧水研究会・国際啄木学会宮崎大会」の研究発表である。


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