ブーイングには愛情ありき
2018-05-09
大谷翔平の敵地初登場ボールパーク全体から幾度となくブーイング
それは愛情のしるしだと・・・
MLBでここまで話題をさらう選手も、イチロー以来かと思うほど米国の野球ファンも熱くなっている。いや、イチローの際には最初からあれほどの選手になるという予測はシーズン当初になかったゆえに、この数カ月でこれほどの反響があった日本人選手は初めてかもしれない。何より投打ともに高水準のプレーを見せており、それはMLBに多くの強力な選手らが揃っていても、なかなか叶えられることではなかったわけである。もとより投手は投球に専念せよ、という考え方そのものが近代的分業制の発想なのか偏っていたわけで、ベーブルースのように投手であり本塁打王であるのが、野球選手の理想ではないのだろうか。例えばイチローなども、投手もやっていたらそれなりの成果を出していたのかもしれない。野球選手の目指すは「子どもの頃からエースで4番」であるのだ。
大谷がイチローのいるシアトルのボールパークで、大々的なブーイングを受けたと報道されていた。残念ながらイチローとの対戦は実現しなかったが、そこである種の洗礼を受けたことは一流を認められている証拠でもある。古語に「にくし」という語があるが、「あっぱれである・感心である」という意味があり、対象が「癪に触るほど立派だ」という趣旨に由来するわけだ。「心憎いプレーでした」という現代語に、その趣旨は十分に遺っている。どうやら陰湿な非難は得意なくせに、公の非難を忌避する日本人的な観戦姿勢では、なかなか理解することはできないものである。思い返せばNYヤンキースの名遊撃手・ジーターには、ライバルチームであるボストンのファンであった僕は、心の底からブーイングしたことがある。ラインナップが発表された時点でボールパーク全体から歓迎のブーイングが沸き起こる。だがジーターが引退する際は、ライバルチームファンとして誠に愛惜の気持ちが極まったものである。批判的言動は「愛」なのである、それは議論でも同じであるはずなのだが。
結果を出し怪我にも強い
とんでもない野次の飛ぶ日本野球の観戦姿勢は見直すべき
真に野球への愛情を持った観戦をしたい。
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