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「野球の研究者になりたい」イチローの生き方

2018-05-05
「会長付補佐」という役職
シアトル・マリナーズとの相思相愛
50歳までやるための生き方なのか・・・

イチローの「今季試合出場なし」という報道が、日本でも一斉になされた。されど来季の選手登録の可能性には含みが持たされた内容。「引退」という一般的な語彙ではなく、やはり誠にイチローらしい哲学の上に、この日の発表はあるように思う。シアトル・マリナーズと再契約した2ヶ月前から、MLB関係のサイトなどでは「最後の花道」というような見方もあり、球団は大変複雑な決断を迫られるといった辛口の報道も目にした。球団史上の歴史的な偉業を成した選手として、またイチロー本人にとっても愛すべき球団であり土地であるシアトル。将来の殿堂入りが確実視されている功労者を、決して「自由契約」にはできない球団が、イチロー本人の意志を最大限に尊重した形の方向性を打ち出したということだろう。たぶん、日本の報道やファンには分かりづらい内容であるのは間違いない。

イチローの会見で何より目頭が熱くなった発言内容は、彼にしては熟慮し言葉を選んだ後に述べた「野球の研究者になりたい。」である。僕自身が「研究者」であること、そして人生を賭して取り組んでいるものへの限りない愛着、外側から「研究」するのではなく自らが「アスリートとして野球選手としてどうなって行くのか?」という実践的な「研究」であること、などに心が揺さぶられた。僕自身も自らが取り組む「研究対象」に限りない愛着はあるが、果たしてイチローほどかと、やや自らの姿勢を恥じる思いも募った上での熱き目頭なのであった。あくまで「実践」を旨とする、自らをその標本・実験台のように叩き上げる。「短歌研究」をするものとしてまだまだ甘い自らの姿勢を、イチローに指摘されたような思いが募ったわけである。そして約10年ほど前によく観戦に訪れた、シアトルのセーフコ・フィールドを思い出した。

さらなる野球哲学の構築
並みの選手では、できない生き方を続けて欲しい
人生に決して引退などないのであるとあらためて思うのである。


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