万葉仮名「孤悲」の表記に思う
2018-04-29
「人はなぜ戯れに叶わぬ恋に身悶えてせつなさと悲しさに心を乱すのでしょう」
桑田佳祐「杜鵑草」より
今年度から「国文学講義」で『伊勢物語』を、また「国文学史」で上中古文学を扱うようになり、あらためて和歌をはじめとする文学の根源に「恋」というテーマが深く関わっていることを痛感している。上代の歌垣の存在や歌謡に見られる相聞の原点、そして平安朝の懸想や失恋を描き出す歌語りを学生に講義する視点で咀嚼し直すことが、あらためて自分自身がこれらの文学に出逢い直す大きな契機となっていることを痛感する。また『源氏物語』が典型なように、「愛」と「死」というのは表裏一体であり、「死」の恐怖を回避したいがために人は「愛」を求め続ける存在なのである。
『日本国語大辞典第二版』の「恋」の項目に次のような「語誌」が掲載されているので引用する。
「目の前にない対象を求め慕う心情をいうが、その気持の裏側には、求める対象と共にいないことの悲しさや一人でいることの寂しさがある。その点、「万葉」で多用された「孤悲」という表記は漢籍の影響も指摘されてはいるが、当時の解釈をよく表わしている。」
冒頭に記した桑田さんの曲「杜鵑草」にも通ずる、この「恋」に対する考え方。GWとなり間もなく「皐月」となるが、この時季になればやはり次の『古今集』恋部巻頭歌を思わないではいられない。
「ほととぎす鳴くやさつきのあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな」
新緑美しき中での語らい
相手のことばを聞き己の心を知る時間
「孤悲」と時空と自分なりの生き方を考えている。
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