新しい「気」が始まる
2018-04-22
家を出たときそう確信した今日から「気」が新しいと
様々な経験を超えて今・・・
そう思おうとするからか、いやなにかがそう感じさせるのだ。「気」が一変したと、ある瞬間に思うことがある。「気」とは哲学的な概念であるが、中国では古代からこれが重視され『論語』をはじめとする戦国時代の文献にも現れる。「天地万物を形成し、かつ気が生命力、活動力の根源であって、人の身体的、精神的諸機能もすべて気から生ずると考えた。」(『世界大百科事典』)とある。「陰陽五行説」もこの考え方に基づくものであり、現代日本語で通行する「元気」という語彙も、「気の元(気の根元)」というところから来ていると云う。もちろん暦の上の「二十四節気」もこの思想が時節に適応されたものであるのは、言うまでもない。
こう考えると、「日時」や「方角」または向き合う人の「相性」など、様々な「気」の中で僕たちは生活していることになる。中でも「相性」というものが確実に人と人との関係の中で感じられるのは、やはり眼に見えない「気」が存在することを実感する。これまでの人生を考えてみても、その「気」に何度となく救われたこともあれば、「気」によって痛い目を見たこともあるように思う。相手の気持ちを謙虚に思いやるのも、実はこの「気」の作用かもしれない。きっといつも「気の眼」のごときものが、我々を見つめているようなものだ。短歌においても「眼に見えぬ鬼神いづこに隠れをる」と思えば、自然と歌の「読み手」を意識することができるだろう。千年以上前の『古今集仮名序』も、まんざら空論を展開している訳ではない。
やや長いトンネルを抜け出した
様々な方面でよい風が吹き始めた
人生には耐えるときもあれば、伸びるときもあるのだろう。
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