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「まだ見ぬ人を恋ふるものとは」考

2018-04-14
「いにしへはありもやしけむ今ぞ知る・・・」
恋のやりとりの性急さと結果を急ぐこころ
滞空時間のある恋心のやりとりを古典に学ぶ

何事も結果ばかりを性急に求められる世の中である。過程や段階を無視してただただ、結論だけが急いで求められている。今年は明治維新150年という節目の年であるが、この近現代の病理そのものをまさに「病理」なのだと僕たちは自覚すべきときにあるのだろう。昨今は「対面性」を嫌悪し直接的な批評を受けるのを回避してしまう若者が多いと聞くが、SNSを始めとする交流手段の変化がさらなる「病理」を産み出そうとしている。だがしかし、あくまで人が生きるのは相手との対峙のみから始まるのではないのだろうか。自らの考えそのものを、相手がどのように反応するいかという「鏡」に映さなければ、何事も理解や把握はできないのである。

冒頭に記したのは『伊勢物語』第111段の和歌の一節、「まだ見ぬ人を恋ふる」ということはあり得るのであろうかと考えさせられる。だが考えてみれば、このSNS全盛の世の中こそ、そうした状況がより起こりやすいとも言えるであろう。時空を超えて会えるはずもない人同士が、いとも簡単に交流できる。その架空の交際は、果たして現実とどれだけの開きがあるのだろう。翻って、古代において交信が物理的に手間のかかった頃、その時間的余裕や隙間にこそ恋の趣きがあったのではないだろうか。いままさに性急さを余裕に代えて、想像を存分に楽しむ時間に興じたいとも思ったりする。

新しい時代だからこその「いにしへ」
自らの時間意識を省みて思うこと
想像の行き着く先にこそ大きな夢がある


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