「文字を読まない」???音読って
2018-04-11
実感を伴う声頽廃的に実効性のない教室の音読
これ一つにも国語教育の重要な問題点が・・・
今月号『教育科学 国語教育(4月号)』(明治図書)の第二特集(特集は「授業開き」)が「音読・朗読・群読」であり、当該特集の「提言」を執筆させていただいた。題して「文字を読まない音読・朗読・暗誦」とした。はて?そんなことがあり得るのかと疑問を抱く向きも多いと思うが、もちろん皮肉たっぷりな表題であるとご理解いただきたい。だが「文字を読まない」でもできるというのが僕自身の実感であり、「読んでいるうちは駄目」というのが「朗読」の真髄でもあろう。「暗誦」などはもとより「文字を読まない」と反論されそうだが、「文字を読む」ごとく無機質に内容との連関を持たずに覚え込まされる暗誦ほど、学習者にとって苦痛で意味のないものはない。(ただ「素読」のようにその場では意味がないように見えても、後の学習段階で活かすことができれば意義深い過程となることをお断りしておく。)
宮崎で懇意にするフリーアナウンサーの方が、「語り」の公演をされていて時間が許す限り興味深く拝聴している。彼女の弁を借りるならば「『読んでしまう』と作品が聴き手に伝わらない」のだそうだ。それゆえに短編小説でも丸々と身体化して、公演では何も見ずに作品を諳んじる。まさに「語り部」の営為なのである。この日は新年度最初のゼミで、この「提言」をもとに議論を展開した。予想はしていたが、「音読」の問題を考えると多くの「国語教育」上の問題が浮き彫りになる。過去の「国語授業」そのものを批判的に見て、「音読」の意義を考えるとかなり目的を伴わない活動を発見することができる。まず自己の教育経験を批評的に相対化する契機ともなり、予想以上に活発な議論に初回のゼミとして意義深いものとなった。
「よむ」行為を考える
あなたに伝えたい声でよむ
活きたことばとは何かを常に意識したい。
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