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贈る言葉は四年そのもの

2018-03-24
卒業式・祝賀会
受付業務から卒業生らと
餞の言葉は四年間での言動で・・・

またこの日がやってきた。教員になって初年度から、常に僕の人生には卒業式の日がやってくる。その初年度などは非常勤講師であったから、授業しか担当していなかったが、それでも卒業式で感情が高ぶったのち、夕方になって誰もいなくなった教室で一人黄昏れた記憶がある。その後の中高教員時代は、全ての年度に担任を持っていたので、当日の教室でまさに「贈る言葉」を生徒たちに伝えてきた。振り返りますれば、青き未熟な教員時代は形式的にその「言葉」を紡ぎ出していたように思う。だが次第に自然と在学時代のことを振り返ると、その内容が語れるようになってきた。要は建前の「贈る」は要らない、既に在学時の関わり合い方によって卒業式の日の最後の心の交流は出来上がっていると言ってよい。

今年卒業するゼミ生たちは、特に前述したことを明らかに感じさせてくれた。ゼミに入ってくる3年次から、様々な課外活動に参加して多分野の人々との交流も積極的にこなして来た。また大学近隣の小学校に足繁く通い、朝の読書活動などを進めて来た。日常から議論する際にはお互い忌憚なく、納得が行くまで徹底的に語り合った。そんな中で僕の方も、教えられることが多かった。この2年間というのは僕にとっても多忙な日々で、教務教育実習担当でありながら「地域連携群読劇」の企画実施や和歌文学会大会の開催に漕ぎ着けた。その行事もまた、このゼミ生たち無くしては実現しなかったのも事実である。僕自身は助けて欲しいと思うことは、率先して参加して協力することを惜しまなかった。さらにはゼミ生たちを中心に「宮崎大学短歌会」も結成された。このような二年間であったからこそ、卒業式で形骸化した「贈る言葉」があるのではなく、既に今後も継続する彼らとの「関係」があるのだと思う。

「染まずただよふ」と名前の刻印された記念のペン
これを携え教育現場で今度は君たち自らの「卒業式」へ向かう日々へ
僕もまた次の卒業式へと向かう準備を始めよう。


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