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若き歩みを日々記しおり

2018-03-15
実家の部屋の奥の押入れ
箱を開ければ中高時代の日記が発見された
日々の己を記す習慣はその頃から・・・

実家の引越しの日が近づいている。ここ約1年数ヶ月に及び両親とあれこれと頭を悩ませ、今後の実家をどのようにすべきか考えてきた。昨年末に土地売却が決まり、その後に転居先のマンションを探してきた。その結果、この週末にマンションへの移転となる。僕自身が、小学校1年生の時に竣工した実家のビルは地上4階、その4階部分には当初は倉庫として建てられた6畳間があるが、その後、父が自身で内装工事を施し僕の勉強部屋に転身した。遠方の眺めもよく、3階以下から独立した「離れの間」であるゆえ、自由に様々なことができた。夜空を見ながらの読書、朝陽を浴びながら様々な暗記に勤しみ、詩歌を始めとする朗読を大声で行っても他に迷惑もかからない。そしてまた中高時代は部活のために腕立て・腹筋を始めとする鍛錬を継続したこともある。そして大学時代となれば、幾度となく恋愛の辛い憂き目を自ら癒す場でもあった。

その実家の部屋の押入れを整理しているが、その保存された内容にあらためて驚いた。高校時代のノートや通知表、大学時代の講義ノートや資料などが、ほとんどそのまま保存されていた。確かそうだろう、と自分でも思っていたが、ここまで多くが保存されているとは意識していなかった。中でも中学校2年生から大学入学直後までの日記帳が、ほぼ完全な状態で見つかった。当初は野球のための「トレーニング日記」として記し始めたようであるが、次第に日々の悩みや自己への戒めなどを克明に記すようになり、さらにノートそのものも頑丈で高価な表紙のものにグレードアップされて5冊に及んでいた。こうして小欄を記すのも既に9年目に近づいているが、10代の頃から文章を書くことと、思索することを好んで実行していたのだとあらためて自己を振り返った。中でも大学受験を目指す日々の記述は、反芻するならば貴重なものが発見できるに違いない。牧水の日記などを読み、自らが同年代の頃はどうだったか?と考えたこともあったが、その資料が見つかったことは、今の僕にとって誠に大きなことのように思う。

自らが生きてきた足跡
ことばで記していることの大きな意味
今なぜこのようなことをしているのか、その必然性がさらに明らかになるはずだ。




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