俺は俺だと立ち上がる
2018-03-13
「一生を一所と決めて疑わず俺は俺だと立ち上がる幹」(佐佐木幸綱『逆旅』より)
『心の花』18年3月号「佐佐木幸綱の一首」武富純一さん より)
実に力強い一首。佐佐木幸綱の歌にはどれもかなりの力を覚えるが、この歌にはあらためて現代の若者にも贈りたい壮大な「生きる力」を覚える。旅立ちの春にして、そしてまた新たな階梯を登る若者たちに、ぜひ自分の今を立ち上げて読んでもらいたい一首である。冒頭に記したように武富純一さんが今月の『心の花』の当該欄に記したもの。その歌評については誌上をご覧いただくとして、ここではあらためてこの歌にすっかり”やられた”僕自身の思ったことを自由に記しておきたい。本日の題とした「俺は俺だと」の下句、「俺」という一人称そのものを”僕”自身は封印している。小欄でも「僕」、講義やゼミなど教育活動でもやはり「僕」、公な場に出れば「私」を使用し「俺」を使う場面は限られる。よっぽどわかり合った間柄でないと「俺」は使用しない。今現在、日常語として「俺」が使用できる対象者は、僕の場合かなり限られる。
だが「俺は俺だと」の格助詞「は」と濁音「だ」との共鳴もよろしく、この歌では再び「俺」という一人称の異様なまでの力を感じるのであった。もちろん結句の「立ち上がる」の意味と濁音、そして「幹」という生物としての男性的な力強さ。(敢えてジェンダーな表現をしておく)そして上の句は「幹」の「み音」と共通の「イ段音」が響き合い、「一生」「一所」「決め」などの語が自ずと生きる力を語る表現として語りかけてくる。樹の「幹」はその「一所」に根付けば、何事もなければ其処で「一生」の年輪を刻む。その喩を、人にも置き換えて考えさせられる歌である。だが昨今は職業でも居住地でもはてまた相方でも、なかなか「一所」というわけにはいかない流動性の時代になった。だからこそなのである、せめて「一生を一所と決めて」歩むべきブレない「幹」が必要なのではないか。”俺”の場合は、さながら「文学」「教育」という「幹」は、たぶん幼稚園時代に遡ってブレていない自信がある。
「俺は俺だ」と言えるものを持て
先の見えない時代だからこそ
そしてまた「歌」そのものが「幹」になることも間違いない。
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