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今日も1日なにもなきよう

2018-03-12
3.11から7年目の午後2時46分
あの日の記憶は鮮明に辿れる
辿れるから「生きている」ただそれだけでも・・・

宮崎に来てからというもの、3.11には研究棟の自室から出た廊下の突き当たりが東向きで太平洋の大海原の水平線が見えるので、そこで黙祷を捧げることにしている。今年は日曜日であったが、例外は許されるはずもなく、正門に弔意の示された国旗が掲げられたキャンパスに足を運んだ。キャンパスに向かう途中で思うのは、7年前の午後2時過ぎあたりに被災した多くの人は、まさか46分以後にあれほどの地震・津波そして原発事故が起ころうとは、誰も知らなかったという事実である。至極当然のことのようだが7年目を追悼するTV番組を観ていて、「今日も1日なにもなきよう」という言葉を絞り出すように親族が被災した方が話していたことが心に響いた。「大震災」ならずとも「今日1日」を難なく乗り切るということは、無常なる存在である人間にとって大きなテーマなのである。

「あの日」の記憶は、今でも克明に辿ることができる。東京の自宅近くの交差点で信号待ちをしている際に、大きな揺れを覚えた。近所の馴染みのcafeのランチタイムに間に合うや否や、という思いを抱いていたこと。頭上の街灯がメトロノームのような振幅で揺れていたこと。交差点から2軒目の病院から、多くの事務員などが外に飛び出して来たこと。自宅マンションに帰るとエレベータは使えず、そこでスマホのTwitterで東北沖が震源である大地震だと知ったこと。階段で12階のマンション自室に行くと、書斎の本棚がもたれ合うように倒壊しガラスが散乱していたこと。余震が続く12階にいるのは怖くなって、ランチに行こうとしていたcafeへ行き、しばらく過ごしたこと。そして夜の闇が訪れて、その後しばらくは正常な生活ができないと悟ったこと。ただ一つだけ言えることは、そこで「生きている」自分がいたこと。さらに、あの日から社会・報道の信頼が大きく揺らいだこと。

NHKBSの番組名「明日世界が終わろうとも」
無常なる人間は今を生きているだけで幸せなのだ
「加速」などと名ばかりな「復興」が今も多くの人を苦しめている。


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