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「耐性」をつけて再び Ichiro!!!

2018-03-09
シアトルに帰ってきたイチロー
以前より「耐性」を身につけたと弁
50歳までプレーしたいという進化形が見たい

10年ほど前になろうか、シアトルの街によく滞在した。一つには、ワシントン州立大学に日本文学研究の優秀な研究者がいたこと。そしてまた、イチロー選手がシアトルに在籍していたことが足繁く僕を通わせた理由である。2006年に最多安打記録を更新し、既に伝説の領域に入っていたイチロー選手のプレーを生で観るのは、当時から上昇志向の強かった僕にとって大変刺激になった。試合前のアップの入念さ、守備についた時の毎回寸分の狂いのない動作、そして打席に入るまでの集中度とその柔軟で広角な打撃。所謂「レーザービーム」も普通なら簡単にライト犠牲フライになるものを、本塁で刺した場面も目の当たりにしたことがある。その胸の奥のゾクゾクした感覚は、研究者としてさらに上を上を目指したいという僕自身の野望を燃え盛らせた。そういうう意味で、年齢の上下は関係なくイチロー選手は「師匠」とも言える存在だと思っている。

シアトルの街の人々もまた、イチロー選手を愛している。前述した「レーザービーム」を観た翌日のランチに中華街に行くと、人気店で席が満席だった。待合席に座ると横になった老夫婦が、「昨夜のレーザービームは興奮したね」(元は英語)と話し掛けてきた。僕が日本人というだけで、イチロー選手の話をしてくれる。そんな心意気が、シアトル市民の中に根付いているのを感じた。僕は一人であったから空いた席を先に老夫婦に譲ると、彼らは店員に直訴して「彼は僕らの前から待っているんだよ」と優しく告げていたお爺さんの顔が忘れられない。また珈琲を買いに(店舗発祥の地である)スタバに入れば、店員もオーダーを聞きながら「昨夜はナイスゲームだったね」と僕に一言をかけてくれていた。もちろん、僕がマリナーズのTシャツを着ているからなのであろうが。そのシャツや51番のレプリカユニフォームはしばらくの間、僕の押入れの中で眠り続けていた。ヤンキースが心情的に好きでないことや、宮崎に来てからなかなか渡米できなかったこともあり、2チームに在籍したイチロー選手を僕は生で観ていない。それも何かの縁であろう。そしてまたイチロー選手がシアトルに戻って来た。その会見の中で気になった発言は「耐性」が以前よりついたというもの。その意味は、彼が再びシアトルのフィールドで妙技を魅せれば、はっきりとわかるであろう。

“Are you Ichiro’s brother?”
シアトルでよく街の人に声を掛けられた
僕もまた「耐性」を身につけつつある日々である。


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