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大学で学ぶ意味をもう一度

2018-02-20
講座専攻卒業論文発表会
4年間での学びとは何か?
私情に流れず客観的立場から冷静な批評ができること

学部国語教育講座の卒論発表会を開催。4年生たちが自らの卒論の内容を、ポスターセッション方式で発表した。研究室によって様々な個性はあるが、基本的な問題意識として「ことばとは?」「文学とは?」という視点から様々な方法で思考が展開している。昨今、諸大学では「卒論」そのものが無くしたり、簡易なものにしてしまっている向きを聞くこともあるが、やはり大学での学びをここでまとめる意義は計り知れないと思っている。会の最後に所属教員として総評が求められたが、在学生を含めて「大学で学ぶ意味は何か?」と問うてみた。資格なり小手先の技術や話術を身につける狭量な意識で学ぶ場所ではないことを、まずは念頭に置いてもらいたいという願いを込めての訴えである。

「感動」「共感」「嫌悪」「憎悪」人は生きていれば様々に正負の感情を抱く。それをそのまま「感動した」「共感した」と言うのはあまりにも短絡的だ。また客観的度量が必要な折に、「嫌悪」「憎悪」の感情に左右された言動しかできなければ、組織や社会に歪みを生じさせる元凶となる。「批評」という立場は、なかなか高校までの教育で育むことは難しい。センター試験を始めとする大学入試を考えた時、「批評的思考」をすればむしろ混乱する可能性があるからだろう。また「教育」そのものも「素直」「従順」をよしとして、「疑問視」する言動を封鎖する傾向も否めない。だが大学生は、ましてや社会人としての教師は違う。児童・生徒を常に客観的に向き合う責務がある。その社会的「批評」の上に、「普遍性とは何か?」という問いもある。「白鳥は哀しからずや・・・」あなたは児童・生徒の前で批評的にわかるように語れるのか?ということである。

個々を尊重するとはいかなることか?
言語でも文学でも社会的営為にしても、向こう側に人がいるということ
その分け隔てから逃れられない宿命を、冷静にわきまえているかどうかということである。


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