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卒論口述試問の意味を問い直す

2018-02-06
あの時の先生の言葉
今もなお自らの心の礎
ゼミ生の卒論口述試問に及び・・・

文学部出身の僕にとって、卒論は生き方を賭した一大行事であった。執筆の際に最後の清書がかなり難航し、ほぼ3日間にわたって徹夜状態が続き、朦朧とすると好きな音楽をかけて歌を唄い覚醒させ、ペンだこの疼きに耐えながら書いた記憶が蘇る。そしてまた口述試問に臨んだ際に、指導教授が実に繊細に自らの論を読んでいて、仔細な誤字の指摘はもとより、自らも十分に理解していない論の展開を詳細に質問され、そこで初めて自分はこのような論を書きたかったのだと悟った記憶がある。その約20分間ほどの指導教授との対話を、僕は今でも克明に覚えている。そしてその後、現職教員である時も、研究者を再び志した折も、その記憶を礎にして歩んできたように思っている。

今や、その卒論口述試問を僕自身が行う立場となった。何より僕が恩師に施してもらったように、徹底的に「卒論を読む」ことを念頭に置いて指導しているつもりである。その読んでいる過程において、個々の学生の4年間の成長が手に取るようにわかってくる感覚がある。その長所と短所、思考の傾向、嗜好の如何なども含めて、日常で対話し関わってきたものが言説化されているようでとても興味深い。人は誰しも個性があり、得手不得手もある。それを自他ともに客観的に捉えて発展させたり補足したりして初めて成長が期待できる。大仰に述べるならば、ゼミで卒論に向き合うということは、その後の「生き方の傾向を予測する」に等しいのであると思っている。やはり僕自身の卒論を振り返るに、今のような「生き方」への傾向があったのだと納得しつつ、ゼミ生の「生き方」に向き合う午後であった。

大学の学びを考える
今こそあらためて卒論の意味を問い直す
22歳でとりあえず、それまでとこれからの「生き方」を言説として捕捉するということ。


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