「締め切り」ありて人は生きたり
2018-02-01
卒論提出締め切り日一つの生き方のモデルパターン
人生にももちろん「締め切り」があるゆえに
本学部の卒論提出締め切りは、「1月末日17時」と定められている。私立大学と比べれば時期も1ヶ月以上遅く、入試が2月下旬からという国立大学の特権であるようにも思う。「17時」となっているのはあくまで予測であるが、学部「教務学生支援課」が窓口として提出受取をしていた名残であろう。現在は指導教員まで直接提出となってはいるが、僕自身はこの「17時」という締め切り時間が大変重要であると思っている。その大きな理由は、社会は学生時代に考えもしないほど「事務的」であるからだ。思い出されるのは、母校の卒論締め切り。学部事務所が「15時」で閉まってしまうゆえ2日間ある卒論提出日の2日目の「15時」に遅れたら「留年」の憂き目を見ることになる。実際に「15時」前後に事務所に”飛び込もう”として叶わず、留年をしてしまった人を知っている。仲間内では「ともかく15時前に事務所に入る」ことが重要だとされ、当時手書きだった卒論では、事務所内の机で「あとがき」を書いている学生もいたという未確認の目撃情報もあった。
「卒論」の価値自体が既に多くの大学で、過去よりも軽視される傾向にあるように見受けられる。だがやはり「卒論」とは、その人の「大学4年間の生き方」そのものではないかと思う。課題の見つけ方、調査・検証の方法、執筆する作業過程、論の主張などあらゆる要素に、その人の個性が表出することになる。また本日の重要なテーマである「締め切り」もまた然り、逆算をして行動できる段取る力が試されているように思う。社会に出て職場に出ると切に理解できるが、「締め切り」の背後には、多くの人の「次の仕事」が控えている。その進行に思い遣りを持てば、「締め切り厳守」は必定となる。また自戒を込めて記すが、「締め切り」間際まで踠いていて果たして「良いもの」に仕上がるのであろうか?甚だ疑問に思うことも多い。まずは「形にする力」も社会で生きていく大きな要素ではないだろうか。短歌などは、踠けば踠くほど「悪く」なることも少なくない。
自らの仕事量を客観視する
「忙しい」現実社会では必須の自己管理力
人生には誰彼例外なく「締め切り」があることを忘れてはなるまい。
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