笑顔と声の響く園あり
2018-01-30
母校ならぬ母園園長先生の意志は今も輝いて
「相手の眼を見てしっかり聞きます」
「母校」なら訪ねるなど大切にされている方も多いだろうが、「母園」への思いを持ち続けている方は、どれほどいらっしゃるだろうか?思い出の記憶も曖昧で、まだ諸々の感覚が成熟していない頃ゆえに、その繋がりも必然的に希薄になるのかもしれない。だがしかし、そうであるからこそ「自分」の根本的な形成期として貴重な場所であるというのが、僕自身の思いである。幼稚園で出逢った先生のことば、絵本や紙芝居の物語の夢、様々な生活習慣が今も僕の内部に深く息づいている。「理屈」ではなく「文字」ではなく、「身体」で表現し「声」で伝えようとした様々な体験は、人間形成の上で大変重要ではないかと幼児教育の大切さを再認識するのである。
「人の話を聞くときは?相手の眼を見てしっかり聞きます。」僕が幼稚園の園長先生から学んだことばである。対面対人関係がICTツールの発達で危うくなりつつあり今、「眼を見て話す聞く」という基本こそを反芻すべきであろう。紙芝居で語られる「マッチ売りの少女」は、刹那のともし火にこそ希望があると「幸せ」のあり方を考えさせられた。また、公共の洗面台で手を洗う際に、石鹸の泡が蛇口の栓に着けば、最後には両手で水を掬ってそれを綺麗に流すという習慣を、年少時の担任の先生に教えてもらった。僕は今でもたとえ海外に行った際にも、この習慣を実行するようにしている。(もっとも最近は自動水流の蛇口が多いのだが)
また母園を訪れた
当時の園長の意志を継ぎ現園長の声が弾む
これこそが、教育の最前線に僕がいる理由でもある。
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